計画相談の終わりのはじまり

まずは、この下をクリックして動画をみてください。

https://youtube.com/shorts/c2xTvhs5HyU?si=L0HHuQKvuVqpR8QY


たまたまYouTubeに出てきたショート動画ですが、この動画をみて、私自身も思わず「そうだよなぁ」とうなづいてしまいました。


妥協せずに量をやってはじめて「質」を語ることができる。


個人的に、私たちが行っている計画相談も同じだと感じています。


この地で計画相談が始まったばかりの平成26年頃、私は、当時の法人から言い渡されてスタートした「計画相談」という職域に初めて踏み込みました。

当時は、まだ、「計画相談ってなに?」といった状態で、誰もが私たちが行う手続きを「手間」「邪魔」としか思っていなかった時代でした。


突然「計画相談がないと受給者証が発行されない」という事実を突きつけられ、パニックになっていた利用者や保護者は、とにかく一覧には10件も満たない計画相談支援事業所に、片っ端から電話をしまくっていました。


私もまた例外なく、毎日何件もの電話を受けて、すべての方を受け入れていた恐るべき時代。

気がつけばあっというまに、たったひとりで220件を超える契約者を抱えていました。


当時のことは、今でもはっきり覚えていますし、あの時代を生きた計画相談の相談支援専門員は、きっと忘れることはできないでしょう。

毎日、深夜0時近くに郵便局の夜間窓口に行き、束になった封書を窓口の方に手渡しして投函してから、ぐったりして帰宅していたあの日から、私の業務は現在に至るまで「何ひとつ」変わっていないのです。

あの、多忙に多忙をを極めた地獄のような日々であっても、私の自負として、1回たりともその手続きや書類の作成に妥協をしたことはないからこそ、今の今でも同じやり方で計画相談に取り組んでいます。


変わったといえば、事務員がいることくらいでしょうか。


別の地区から引っ張り出して作成していた「アセスメント表」も、計画相談の基本である「サービス等利用計画案」「週間予定表」「申請者の情報(別紙1)」「現在の生活状況(別紙2)」を、自分に妥協して作成しなかったことは、これまで一度もありません。

ひとりひとりのケースを丁寧に聞き取り、多種多様な人生模様を「生活歴」として丁寧に書き出し、これらの積み上げた情報を元に、今では、今後を生きる利用者やそのご家族に対して、これまでのケース情報からたくさんの選択肢を与えることができる相談支援専門員のひとりとして成長することができました。

私は、日々の関わりを持たせて頂いた数多くのケースから、これまで多くのことを学び、育てて頂き、現在の私に至るのです。


それこそが、私の考える「計画相談の質」であり「価値」です。


計画相談の黎明期から取り組んできた私が常に念頭に置いていたのは、

①まずは、計画相談の相談支援専門員の職種を確立し周囲からの信頼を勝ち取ること

②計画相談の相談支援専門員として、他の事業者や支援者と対等に話ができる立ち位置に立つための歴史を積み上げること(継続すること)。

③それぞれの書類や手続きの持つ「意義」「意味」を理解して、妥協せずに真摯に取り組むこと

④サービス等利用計画案を通して、利用者やその家族に明るい将来像や未来像を見せること


だからこそ、計画相談の相談支援専門員の「継続性」と「専門性」にこだわってきたのです。


先駆者として取り組んできた私のもとには、片手では足りないほどの「計画相談の相談支援専門員になりたい人たち」が学びにやってきました。

新しく計画相談の相談支援専門員になりたいと考える方々には、惜しむことなくノウハウを無償で提供し、そして、運営哲学を教えてきました。

「絶対に楽をしないほうがよい」「一度、楽を覚えると、元には戻れなくなるから」「書類で評価されるからこそ、書類の中身を妥協しないように」


私のもとで研修を行った方々には、まさに小姑のように言い続けて、そして巣立っていきました。

その人たちが、地域の中心として計画相談の相談支援専門員としての役割を担っていると言えます。

自ら信頼できる相談支援専門員を生み出してきたのです。


私が計画相談をはじめて数年くらいは、まだまだ計画相談支援事業所が少なかったこともあり、多くの人たちが、黎明期から始めた私の取り組みを「地域のスタンダート」として評価して頂き、私のやり方をそのまま踏襲する相談支援専門員ばかりでした。

それは、相談支援専門員が、その時の私が考えた「質と効率化を担保できる手段」で取り組む地域となりました。


しかし、今の地域で行われている計画相談は、そのときとは全く違うものに変容してしまいました。


それは、地域に計画相談支援事業所が溢れた地域になったことで、私たちとは違うやり方が主流となり、業務内容も大きく簡素化され、行政は基本情報のベースである「申請者の情報」すら提出の必要を無くした地域が周辺に増えてしまったことで、アセスメントすら取らなくなってしまった相談支援専門員が主流派となる地域に変容してしまったのです。


モニタリングに至っては書類を提出する義務すらなくなり、会議をやったことだけを証明する書類を残せば良くなったのです。


同じ地区の移管のケースを私たちの事業所が受けたときに、頂いた書類の中からアセスメントを探していたら、移管元のさらに前の相談支援専門員が、もはや5〜6年前に書いたアセスメントしか残っていない状況で、例えその方が成人の利用者であっても、児童時代のアセスメントしかない状況といったことが、当たり前のようになってしまったのです。

モニタリングに至っては、変化すら追うこともなく、チェック方式で終了となる自治体もあります。


「相談支援専門員の役割とは何か?」それを考えた時に、アセスメントがないサービス等利用計画案や内容のないモニタリング報告書に、どうして2万円や2万5千円の価値があるでしょうか?


相談支援従事者初任者研修でも教えてもらったはずの内容なのに、地域では公然と省略化されたアセスメントなしでサービス等利用計画案が作成されているのです。

しかも、基本情報の欄は提出義務もなく、例外なく私たちの地域の計画相談も、いつのまにか提出内容を勝手に変えられてしまっている。

しかも、行政も追加書類の提出を相談支援専門員に伝えれば、その相談支援専門員から「必要である根拠は何か?」と逆ギレされるというではないですか…。

未だに私たちは律儀にすべての書類を提出しながら、記録まで添付しているにも関わらず、ふと気がつけば、他の計画相談は出してもいなかったということの顛末。


いや、出さなくても良いのかもしれませんが、アセスメントの作成がないのに、どうやってサービス等利用計画案を作成することができるのでしょうか?

いや、作成はできたとしても、それは、「サービスをつかうための内容」でしかないわけで、いわゆる『紙屋』と揶揄される相談支援専門員に自ら成り下がったということには気がつかないのでしょうか…。


もはや、それらを当然と思っている現状の計画相談の相談支援専門員は、本来の計画相談の相談支援専門員の役割を果たせる状況ではないと思うのです。

そういった相談支援専門員から教わった新しい相談支援専門員が、さらに簡素化した相談支援専門員を生み出すのでしょう。


私たち相談支援専門員は、ソーシャルワーカであり、相談援助技術を駆使する専門職だったはずです。


私ひとりだけが昭和の頑固親父みたいに思っているだけかもしれませんが、ケアマネジメントの本質を考えるからこそ、私は、この地域の計画相談に未来を感じることができなくなりました。

今の那珂川市だけは、提出書類を変えずに継続してくれているのが唯一の救いかもしれません。


「初心忘れるべからず」


このままいけば、きっと、計画相談の栄華は失われ、終わりに向かっていくと思います。

今の状態で単価や加算が維持できるとは到底思えないのです。

この予言が当たらないことをこころから祈るばかりです。


私たちは、私たちのやり方で、私たちの身近な地域に本来の相談支援専門員を養成すべく、最後の悪あがきを行います。

それは、自分を律し、楽を選択をしない相談支援専門員を増やすこと。

どんなに地域に計画相談支援事業所が増えたところで、どんなに飽和状態になったところで、地域にとっては何の意味もないのですから。


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