第30回福岡筑紫地区計画相談支援研究会(通称:チキンの会)のご報告と研修会開催通算100回を迎えて


私たちが、計画相談の研修会を初めてから、通算100回目の研修を迎えることができました。ひとえに、私たちが開催している研修会に足を運んで頂いた皆様のおかげです。改めて、皆様にはこころから感謝の意を表したいと思います。



個人的なことですが、この研修会をスタートさせた大きな理由は、私自身がソーシャルワークを原点として業務に従事していたからに他なりません。過去には、黎明期の委託相談支援事業所に身を置いていた経験から、私の仕事のベースは、常に地域のみなさんとの「顔の見える連携」であり、そこから「業務と質の底上げ」「従事者の脱落防止」私たちがそれぞれの地域で存在し続けるためにも、このような場は必要不可欠なものであるという考えがあったからでした。


平成24年に計画相談の制度が始まり、私自身は、平成26年にはじめて計画相談というこれまでになかった新しい業務に携わり、この地区で障害福祉に携わっている様々な方々と出会い、共に発展してきました。振り返れば、私の所属している事業所がある那珂川市は、今から8年前は、人口5万人にも満たない那珂川町と呼ばれており、障害福祉の分野で、当時の那珂川町を本拠地とする社会福祉法人はひとつもなく(それは現在においても存在しませんが)、障害福祉の事業所は、隣接する福岡市にはたくさん存在するものの、那珂川町にはほぼ存在せず、私が当時所属していた法人が設立した放課後等デイサービスは、地域初の児童分野の事業所でもありました。今では、両手両足の指でも足りないほどの事業所が存在する地域になりましたが、当時の計画相談は、サービス利用を希望する利用者を、この地域につなぐ環境がないため、いつも福岡市や春日市に出向いていたことを昨日のことのように思い出します。


先述したように、8年以上も前に私はこの地で計画相談をはじめたわけですが、当時から従事している方々の大変さは、今始めた方々からすると、想像もできないことだと思います。当時の計画相談は、今ほど業務について教えてくれる人はいませんでしたので、誰もが見よう見まねで行なっており、考え方やその取り組み内容もそれぞれの相談支援専門員によって様々でした。「計画相談=儲かる」といった、今では考えられないような話題も広がり、実際の福祉の現場では、単に手間が増えただけといった「計画相談不要論」が蔓延していた時期もあったのです。しかし、実際の業務は、やればやるほど過酷を極め、かなり難しいケースや、利用者本人だけではなく、その家族や知人も含めて問題を抱えているケースなど、もはや計画相談だけでは対応できないケースにも直面することも多々ありました。


中には、そういった複雑なケースだからこそ、懸命に取り組む相談支援専門員もいましたが、鳴り止まない電話、中には心無い罵声や怒声を浴びることもあるなかで、身も心も削りながらも真正面から受け止め、利用者のために、法人のために、地域のためにと業務を行なってきたにも関わらず、そういった対応は、売り上げには全く繋がらず、自ら所属する法人からも冷たい対応を受けて、現場から離脱する相談支援専門員も多発しました。誰もが問題を抱え、誰もが苦しみ、中には自らの家庭をも壊しかけ、心病む相談支援専門員が後を絶ちませんでした。当時は私自身も同じような状況を抱え、このままでは、「計画相談という業務そのものが社会から求められなくなる」「計画相談そのものがなくなってしまう」という不安にも駆られた時期だったのです。だからこそ、せめてこの地区の先駆者として、「正しい計画相談」「求められる計画相談」であろうと声を掛け合った当時の計画相談の仲間とともに始めたのが、100回目を迎える日に行われる「チキンの会」でした。


あれから、今では研修の分野も広がり、誰もいなかったこの地区で、研修会が毎月2~3回開催されるようになりました。あらゆる知識を習得するために、すべての研修に参加している強者もいます。これだけの規模の研修会は、他の地区をみてもあまりありません。そして、この研修をきっかけに、「計画相談の相談支援専門員」に興味を持ってくれる仲間が増え、今でも、その仲間たちが筑紫地区を中心に、福岡市や久留米市などに広がって、今では福岡県内であればどの地域にいても計画相談をつなぐことができるだけの「顔の見える」コミュニティに発展しました。これは、私たちがはじめた活動として、とても大きな成果だと思います。そして驚くことに、今では当たり前に存在する基幹相談支援センターの制度が地域に広がる前から、この地区では、この基幹相談支援センターの役割を担うコミュニティが存在し、このコミュニティを通じて、「計画相談の基本を学べる場」「それぞれの地域の計画相談が持っている事業所の生の情報が得られる場」「困難ケースを抱える相談支援専門員の相談の場」「コロナ禍で孤立した相談支援専門員を繋ぐ場(メンタルヘルス対策)」「計画相談や事業所の運営相談の場」としての機能をすでに果たしていたのです。


実は、ここにいる私たちの誰もが知っているのです。つながらない相談支援専門員の行く末がどんな結末を辿るのか?自己満足の相談支援専門員になってしまうという恐ろしさを感じているのです。私たちは、常に立ち止まり「自分の行動や判断が、利用者やその家族にとって求められたものだったのか?」と自己を振り返る作業が必要なことを知っているのです。自分自身の強みや、時には弱みにも向き合い、「自己理解」「自己覚知」を促すことが求められます。これらを可能にするのは、これまでの計画相談の歴史と経過を正しく教えてくれる、同じ業務を行う者同士が、一緒になって言いたいことを言い、対話をしあって、学び合える環境だけなのです。それは、私たちのためのセルフヘルプグループと言っても良いでしょう。その重要性を知っているからこそ、私は、この研修会がどんなに参加者が少なくなろうとも、この地で継続していかないといけないと考えているのです。なくなってしまってからは、この地域の福祉の質そのものが危ぶまれる可能性もあるのですから。


私はみなさんにいつもお伝えしているのですが、計画相談の苦情は、自分たちに直接くることはありません。他の計画相談を通じてしか来ないのです。特に私は、自分の立場が大きくなればなるほど、私の耳に入らなくなることを知っています。だから、謙虚でありたいと思うのですが、私も所詮人間ですので、徐々にダメな方に向かってしまいます。まずは私が率先して自らを晒すこと。だめな自分を曝け出すことを、これからも、このチキンの会で行なっていきます。


私たちの研修会は、別に忘れられる存在で構いません。調子が悪くない時は、きっと私たちの研修に参加することも億劫に感じると思います。それで良いのです。でも、ちょっと行き詰まったり、苦しくなったときは、遠慮なくご参加ください。来ていなかったことを恥ずかしがるよりも、私たちはいつだってウェルカムであなたを迎えます。あなたの苦しみは、私自身が、私たち自身が体験している苦しみです。だからこそ、共感しあえ、助け合えると思っています。必要なときに、そこにいることができる私たちであるために、これからも地道に存在し続けていきます。それ以上のことはできませんけれど。


最後に、すべての研修の受付として、いつも私たちの顔になってくれている亀井さん、この研修会を始める前から、私の業務をいつも認めて仲良くしてくれた「原点回帰の会」を主催する松尾さん、そんな松尾さんを支えてくれる今となっては就労と児童分野を股にかける井福さん、いつも何気ないひとことで私に気づきを与えてくれる「対話の会」を主催する松田さん、県社会福祉士会の研修そのものを引っ張っている、若手であり、新世代のホープでもある「ハマチの会」を主催する石井さん。みなさんが各分野の研修会を手弁当で担当し、主催して頂いています。忙しい運営や業務のなか、時間を割いて研修会を開催して頂き、こころから感謝申し上げます。


そして、名前こそあげていませんが、本当は私たちの研修会にたくさん貢献してくれている多くの方々がいます。皆さんが来てくれているからこそ、私は楽しく継続できています。私が想像しているたくさんの皆さんに、こころから感謝を伝えます。また、私と共に働くスタッフは、私という存在がいるだけでおそらく大変です。私が事業所を離れても、私が自分の業務以外に何かに取り組んでも、何一つ文句言わずに、私の事業所を守ってくれている職員たちにも感謝しています。たくさんの皆さんのおかげで、私は、このチキンの会と法人の運営を行うことができています。


研修会開催通算100回を迎え、関わる多くのみなさんにこころからの感謝を捧げます。ありがとうございます。そして、これからもどうぞよろしくお願いいたします。






チキンの会ですけん・・・(苦笑)←やらされてますのよ。





研修会担当のメンバーたち。
どこかに石井さんが隠れていますw



コメント