【報告】令和7年度九州地区障がい者相談支援合同研修会 宮崎大会に参加しました。

協働体制の仲間たちと一緒に!同じ地区の相談支援専門員たちもたくさんきていました!

先日、令和7年度九州地区障がい者相談支援合同研修会 宮崎大会が、テーマ『シン 原点回帰』~つながりを深め明日(ミライ)を照らす~のもと、ホテル ニューウェルシティ宮崎にて盛大に開催されました。本研修会は、相談支援の制度的な変化の中で立ち止まることなく走り続ける相談支援専門員が、その「真髄(しんずい)」を「心(しん)」に「深(しん)」く刻み、「新(しん)」しい明日への活力とする機会を提供することを目的としています。

研修は2日間にわたり、相談支援専門員をはじめ、行政、医療、教育関係者など幅広い分野からの参加者が集まりました。私たち計画相談支援室ノーマの3名の相談支援専門員と、協働体制を構築している「リブコネクト」「結」「NEOing」の相談支援専門員とともに、より良い相談支援体制の構築に向けて学びの機会を得ることができました。


以下に、開催要綱の流れに沿って、各プログラムの概要と特に印象的だったことばを報告いたします。


宮崎知事直々の歓迎もあり、スタートから楽しみな研修会となりました。

1日目:12月11日(木)

開会(12:00~13:30)

開会挨拶とオープニングセレモニーでは、ダウン症の書家による、今回の研修テーマである「原点」の文字を書くデモンストレーションが行われ、出来上がった強く生命力に溢れた「原点」という文字が、開催期間、最後まで展示されました。

また、宮崎県知事による開催の挨拶も、ホスピタリティと機知に富んだものであり、研修会全体の熱量の高さを感じさせました。


九州・沖縄からたくさんの相談支援専門員らが参加しました!

第1部:行政説明(13:30~14:30)

「報酬改定後の状況と今後の障がい福祉の動向」 厚生労働省/こども家庭庁の小川陽専門官より、人口減少社会という前提条件のもと、障害福祉をいかに維持・強化していくかという喫緊の課題について説明がありました。現在の障害のある方の推計は人口の9.3%に相当し、障害福祉は身近なものになりつつあり、予算規模も4兆円規模に達しています。

法改正の趣旨は、「障害者等の希望する生活を実現する」ことであり、そのための重点項目の一つとして「意思決定支援の推進」が挙げられました。これは福祉サービス全体に共通する柱であり、特にサービス担当者会議等へのご本人参加を原則とすることの重要性が強調されました。

また、相談支援専門員の平均年齢が49.6歳(介護支援専門員より約5歳若い)である現状から、若手の参入と人材確保の重要性が示され、学生実習生などに「いや、今日もうまくいった」「こんなことやれた」と前向きな魅力を伝える必要性が語られました。

小川専門官は、相談支援従事者に向けたエールとして、利用者や仲間の可能性を「信じる」ことの大切さ、つまり「信(しん)」が相談支援の基盤となる価値観であると結びました。


最近になり、個人的に相談支援の歴史を知る重要性がようやく理解できました。

第2部:基調講演(14:45~15:45)

「相談支援の過去・現在・未来」 Social workらぼ代表の田畑寿明氏は、今回のテーマである「新・原点回帰」について深く掘り下げ、相談支援の歴史と未来のあり方を示しました。

田畑氏は、相談支援が2000年の社会福祉法での法制化から「25年」という節目を迎えていると指摘し、今こそ過去を振り返りながら未来を照らす作業が必要であると述べました。

問題解決の糸口として、映画『シン・ゴジラ』の「矢口プラン」を例に挙げ、核兵器を使わずにゴジラを退治する方法を多職種が知恵を出し合って考えたように、危機的な問題に当たった際には「多職種連携」こそが鍵となると解説しました。これは、通常ではないケースに対応するためのヒントであり、相談支援の使命である「共生社会」の実現のためには不可欠です。

田畑氏が特に強調したのは、日本の障害者福祉が「家族が介護することを前提」に成り立っている現状を変え、「社会全体で支え合う仕組み」をベースに街づくりをするべきだという点です。

印象的なことばとして、障害福祉の計画相談について、「計画は宝の地図、実践は宝探し」であるべきだという表現が紹介されました。また、相談支援の面白さが「趣味」になるほどやりがいを感じるという体験談や、福祉は全体が良いだけでなく、「個人の福祉」が保障される姿を指すという思想が、現在の計画相談につながる名言であると語られました。

さらに、自立とは一人で全てできるようになることではなく、「依存先を増やすこと」であり、一つ一つの依存度を下げることによって何にも依存していないかのような錯覚ができる、という言葉が引用され、支援における視点の転換を促しました。また、これからの地域福祉は「ごちゃ混ぜの福祉」という考え方が非常に大事になってくると提唱されました。



第3部:トーク&ライブ(16:00~17:15)

「限りある人生を限りなく楽しむために」~人生は UP to ME~ シンガーソングライターの真北聖子氏は、ご自身の人生経験と歌を通して、「自分次第(UP to ME)」で人生の選択肢を切り開いていくことの重要性を伝えました。

真北氏は16歳で脊髄動静脈奇形(AVM)を発症し、車椅子での生活となりましたが、その経験をバネに音楽やスポーツ、観光など、様々なことに「チャレンジ」してきたと話しました。障害があったからこそ、応募条件が障害者であることに限られた音楽オーディションに挑戦でき、作詞作曲を始めるきっかけになったとのことです。

印象的だったのは、社会の偏見や、排泄の失敗で落ち込んでいる時に夫が宮崎弁の「しかぶった?」(もらしちゃった?)という言葉を笑いに変えてくれたエピソードです。この出来事から、重い空気の中に笑いやユーモアという「余白」を添えることが、心を軽くする上でいかに重要であるかを学びました。

そして、障害当事者として、社会の偏見や先入観が障害受容のプロセスにおける大きな壁であったと語り、特に大人たちが子供に「伝え方」を学ぶ重要性を強調しました。


演奏も歌声もとても素敵でした♬変化を恐れず挑戦することの重要性を改めて感じました。

歌とトークを通して、「生きているそれだけでいい」「望む環境は絶対自分たちでつくっていける」という力強いメッセージを参加者に届けました。


SNSで繋がっていた県外の方々にもごあいさつをさせて頂きました!

第4部:情報交換会

1日目のプログラム終了後は、同じ会場において情報交換会という名の大忘年会が開催され、九州を各県を代表とした若い相談支援専門員たちの熱い想いがステージ上で発表されました。笑いと感動とで会場と一体となって盛り上がったことは言うまでもありません。

九州の相談支援専門員たちの熱量を感じた素晴らしい1日目となりました。


私たちは前日入りしており、ちょっとテンション高めで調子に乗っています(苦笑)

2日目:12月12日(金)

第4部:特別講演(9:30~11:15)

「真の‘寄り添う’とは」~相談支援に期待すること~ 植草学園大学副学長の野澤和弘氏からは、相談支援が抱える課題と、今後目指すべき「真の寄り添い」の姿が示されました。

野澤氏は、現在の福祉サービスは財源が充実している一方で、営業目的の団体が参入し、真の利用者が自らサービスを選ぶのが難しい状況にあるからこそ、「相談支援しか(健全化の役割を)果たせないかもしれない」という大きな期待を述べました。

真の寄り添いを考える上で、野澤氏は、強度行動障害の対応の現状について「船に穴があいて水がどんどん入ってきて、その水を一生懸命汲み出しているだけで、穴を塞ごうとしていない」というメタファーを用いて警鐘を鳴らしました。

野澤氏が代表を務める研究で得られた知見として、行動障害の支援は行動の分析だけでなく、幼少期からの「被害体験(トラウマ)」や「傷」を理解することが不可欠であり、支援者が自身の持つ「価値観の偏り」に気づくためのトレーニング(シナジートラウマ=シナトラ研修)が必要であると説明されました。

そして、支援者が目指すべき方向性として、行動障害を「直す」ことに固執するのではなく、「行動障害があったって豊かで楽しい地域生活の実現」を軸に据えるべきだという「地域共生モデル」のコンセプトを紹介しました。

相談支援専門員は「司令塔」のような役割を担い、かわいそうな障害者を「保護してあげる」のではなく、「障害者の生きにくさを理解し、支援を通して社会を変えていく」という「クリエイティブな仕事」であるべきだと締めくくりました。


とにかく明るいみなさん!私も近い将来、この4人の方々のような存在になりたいと思いました(笑)

第5部:シンポジウム(11:30~12:30)

「ボクらの歩いてきた相談支援(ミチ)」~今、伝えたいこと~ 九州各県の相談支援の先輩方が登壇し、久光博之氏(宮崎県)の進行のもと、制度が未熟だった「何もない時代」の苦労や教訓が共有されました。

鹿児島県の江之口博行氏は、かつて地域に福祉サービスが「何もなくて」、行政や学校、地域の専門職などに頭を下げて「誰かと一緒に行かないといけない」と資源化をお願いしていた経験を語りました。

沖縄県の津波古悟氏は、夜間の対応で利用者が命に関わる危険な状況に陥ったエピソードを話し、自身の大きな失敗経験から、支援は「コーディネーター一人の力ではできない」と悟り、地域やチームの力を借りることの重要性、すなわち「謙虚な姿勢」がチーム形成のきっかけになったと述べました。

長崎県の藤井修氏は、「短期入所がなかった」時代に、自分で施設に泊まり込み、利用者が慣れるまで寄り添うという、今では考えられないような実践をしていたと告白し、その原動力は「個人の幸福」を守るという強い思いだったと示唆しました。

シンポジウムでは、当時のコーディネーターたちは、現在の制度のようなマニュアルや法定研修がない中で、「働いて働いて働いて」経験を積み、「何となく収束ができてきた」という恵まれた環境にあった一方、今の専門員はすぐに計画作成を求められる難しさがあるという認識が共有されました。

また、チームアプローチを成功させるには、行政や病院が「やるべき」という役割分担の意識を持つのではなく、「主は僕(私)なんです。ここを手伝ってくれませんか」と主体性を持って呼びかける姿勢が重要であると強調されました。

最後に、登壇者一同から、相談支援専門員は「助けられ上手」になる勇気を持ち、「休む勇気」を持つこと、そしてサービス利用計画の策定という「サービスを調整できる権利」という強力なツールを駆使し、「幸せづくりのお手伝い」を続けることの意義が改めて語られました。



まとめ

宮崎大会は、テーマである『シン 原点回帰』が示す通り、相談支援専門員としての「真髄」と「信念」を再確認し、制度や技術的な進展を超えて、「真の寄り添い」とは何かを深く問う場となりました。

特に、「多職種連携」や「ごちゃ混ぜの福祉」といった外部との「つながり」を深めること、そして、「豊かで楽しい地域生活の実現」を目指すという、利用者を中心とした「新しい明日(ミライ)」への視点が共有されました。


今回の宮崎大会では、まさに相談支援専門員が誕生するまでの歴史に触れることができました。私のソーシャルワークのバックボーンは、「精神科ソーシャルワーカー」がベースになっていますが、相談支援専門員は「療育等支援事業」の流れを汲むことが明確に理解できたことで、私たちが進むべき、取り組むべき方向性が、より明確化されたように思います。


今回の宮崎大会のテーマが『シン・原点回帰』と伺ったとき、ちょうど、10月に開催した協働体制1周年記念講演会を開催した際に、お越しいただいた柳沢先生のこと、お話頂いた内容を思い出しました。



柳沢先生もまた、「療育等支援事業」のコーディネーターであったことを考えると、まさに今回のシンポジウムに参加されていた4名の方々と同じ時代を生きてこられた方です。私たちは、まさにこの時代のことを知るべくしてここにいたのだと運命を感じました。


1周年記念講演会も「温故知新」というテーマで開催しましたが、過去の歴史を振り返ることで見えてくる「相談支援専門員としての未来」が明確になり、相談支援専門員としてどうあるべきか?単なる計画作成家止まりでは、相談支援専門員が誕生した意義の半分にも満たないのだと認識しました。


私自身も平成26年2月からはじめた計画相談でしたが、当時を思い返せば、地域にほとんど社会資源がない那珂川町からのスタートでした。だからこそ、たくさんのケースを通じて学ばせて頂いたのだと改めて感じました。

知識や経験をひけらかすことよりも、謙虚に耳を傾けながら取り組むことこそが、私たち相談支援専門員がもっとも大切にすべきものだと思います。


この熱量の高い研修会で得られた知見と九州の仲間との「つながり」を糧に、私たちノーマの相談支援専門員は、これからも「個人の幸福」と「幸せづくり」に貢献してまいりたいと思います。


次回は鹿児島県での開催です!


研修期間中は、電話等がうまくつながらずにご迷惑をおかけしたことを深くお詫び申し上げます。



 

チキン南蛮の元祖とも言えるお店でチキン南蛮を食べました。知っているひとたちもちらほら(笑)

宮崎は釜揚げうどんがとても有名です。出汁まで全部うまいです!

はい!これはうかれポンチですね(苦笑)




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