【新年特別号】2024年(令和6年)ノーマ通信
新年あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
突然ですが、皆様に大切なご報告があります。
「こどもサポートルーム カーサの閉所」
まずひとつめは、私たち計画相談支援室ノーマと同じ法人が運営する「こどもサポートルーム カーサ」が令和6年3月末をもって閉所することが決まりました。
「こどもサポートルーム カーサ」は、ノーマが深く関わりを持った事業所でした。
計画相談を行う私たちは、毎年、中高生を抱えるお子様を持つ一部の保護者から、「今のまま、放課後等デイサービスに楽しく通わせるだけで良いのでしょうか?」という声を幾度となくいただいていました。
それは、毎回のモニタリングで、「小さい子の面倒をみてくれる優しいお子さんです」としか言われないことに対する、将来を考える保護者の決して小さくはない不安の声でした。
そこには、私たちの地域に、中高生が主体的に動くことができる放課後等デイサービスが「不足」していることが背景にあることは明白でした。
しかし、放課後等デイサービスを利用する多くは、中高生ではなく小学生であり、中高生に特化することは、ある意味、事業所運営における「リスク」が伴っていました。
また、学生である中高生に対して、ある意味、大人のサービスである「就労移行」「自立訓練」に近いサービスを提供することは、こどもたちにとっても決して「楽しい」ばかりではありません。
保護者の期待する「訓練的要素」とこどもたちが期待する「楽しい要素」を共存する支援がどれだけ大変か?実際の現場で支援を行なっている方々は、言わずともご理解いただけると思います。
カーサの船出は、当初から決して明るい内容ばかりではありませんでした。
だからこそ、そのことを解決しながら利用を継続してもらうためには、「保護者の協力」は欠かせません。
では、保護者の協力を得るためにはどうすれば良いのでしょうか?
それは、利用児童だけではなく、保護者の皆様に対して「何のためにカーサを利用するのか?」を十分理解してもらうことです。
その理解は「カーサのみ」でできるのではなく、私たちのような「計画相談支援事業所」の協力もまた必要なのです。
単に「中高生向けの放課後等デイサービスがありますよ」だけでは、こどもたちも行きたがりませんし、「本人が行きたくないと言っているので休ませます」と保護者も容易にキャンセルを口にするようになります。
実際に、キャンセルの数は毎日のようにみられ、ひどい時には利用予定の半分がキャンセルになることもあったようです。
私たちノーマでも、中学生になったからとカーサの利用を紹介することはありませんでした。
なぜなら、その目的と意義を理解しないと、こどもたちの継続した利用にはつながらないし、その結果、継続した意味のある支援ができないからです。
継続した支援ができないならば、最初からカーサを利用する意味がありませんし、それなら、利用したい放課後等デイサービスを利用する方が良いに決まっています。
結果、休まず決められた日に通所しているこどもたちの多くは、その理解をした保護者と、「行きたい」と意思を示した児童たちです。
そして、そういった保護者の多くは、「カーサがあって本当によかった」と伝えてくれます。
こどもたちの表情もみるみる変化が起き、保護者も驚くほどの成長を遂げます。
そして、驚くべきことに、カーサの閉所は、私たち法人側が決めたのではないという事実です。
誰よりもカーサを愛し、誰よりもカーサを思ってくれた3名+補助員1名が、最終的に自ら「カーサの閉所」を私たちに進言したのです。
利用者の利用低迷と、先行き不透明な将来の運営リスクと周囲への影響を考えた結果、今年度、高校3年で過去もっとも卒業生を送り出す令和6年3月のタイミングで終わらせよう決断したのです。
そして、それぞれの職員は、次のステージに向けて私たちの法人を卒業していきます。
しかし、運営法人はカーサがどんな状況になっても「カーサを守るため」に常に動いてきました。
なぜなら、カーサで得られるノウハウは、法人にとっての宝であり、カーサの支援は地域においては唯一無二であり、地域の宝だと思っていたからです。
今では、近隣にも「中高生向け」の放課後等デイサービスは増えましたが、たとえそうであったとしても、カーサの支援は未だ唯一無二だと思っています。
それは決してお世辞ではなく、それだけの地域への成果と実績を期待以上に残してくれたのがカーサだったからです。
それこそが、運営法人である株式会社五つ星工房の『わたしたちは、地域福祉を担う一企業として、五つ星(最高)品質の福祉サービスを提供することで、利用者、ご家族、従業員並びに地域社会全体の幸せを追求します。』という理念に沿った運営をしてくれた誇れる事業所だからです。
しかし、私たちのカーサへの将来への期待と良い評価が、返って現場のスタッフを苦しめ、追い込んでしまったのかもしれません。
高比良から閉所することを進言されたときの私の驚きと失望の気持ちは、今でも私のこころに深く残っています。
ですが、その決断をしたカーサスタッフには、むしろ感謝の気持ちしかありません。
なぜなら、私たちの期待を超える、『彼らのいない「カーサ」は、カーサではない』とすら思えるほど、素晴らしい支援を行なってくれたからです。
周囲が何を言おうとも、私は、再び中高生向けの事業所が今後も現れたとしても、カーサのような事業所は決して現れないだろうと断言できるからです。
それくらいに、中高生のこどもたちの支援は簡単ではないことを、私たちは知っているからです。
「欲しいときに、それが地域にない」
この地区は、中高生の行き場の選択肢をひとつ失いました。
そして、私たち計画相談も、紹介できる中高生の大切な行き場をひとつ失いました。
私たちにとって、これ以上の悲しみはないのです。
ご利用頂いた児童並びに保護者の皆様には、多大なご迷惑をおかけすることになりますことを、カーサを運営する法人役員でもある私としても深くお詫び申し上げます。
また、カーサの閉所に伴い、関係機関、特に計画相談の皆様にはご負担をおかけすることになったこと深くお詫びするとともに、事情をお察し頂き、利用児童並びに保護者への今後の利用先の確保へのご協力の程よろしくお願いいたします。
設立から4年7ヶ月、こどもサポートルーム カーサへのご愛顧誠にありがとうございました。
私自身、カーサを訪問して、彼らがこどもたちに向き合って支援をしている姿を見ることができないのがとても残念でなりません。
願わくば、カーサの職員にひとこと労いのことばをおかけ頂けたら幸いです。
「ノーマの管理者兼相談支援専門員が変更となります」
ふたつめのお知らせは、現在、計画相談支援室ノーマの管理者兼主任相談支援専門員である私、寺川が、令和6年3月よりノーマの配置から離れることになりました。
とうとう来るべき日がきてしまいました。
今回、私どもが運営する久留米市にある放課後等デイサービス事業所の管理者兼児童発達支援管理責任者が退職することがきまり、その後任を担う職員が不足していることから、急遽、私がその任に就くことになりました。
私にとっては、10年にしてはじめての異動となります。
ただ、私自身の役割として計画相談そのものをすぐに放棄できるわけではありませんし、那珂川市の推薦により、主任相談支援専門員としての役割も担っておりますので、身体半分はまだ、那珂川市に置く必要がありますが、これまでのようなノーマに全力を注げる状況を継続することは、現状、困難となってしまいました。
私の後任は現在、調整中ですが、近々ご案内できればと思います。
個人的な話になりますが、この地に10年、計画相談の相談支援専門員として従事してきました。
担当する利用者さんも、お付き合いのあるご家族もまた、長い方で10年近くになります。
そして、10年ということは、今やその子が生まれたときから私がその地区に存在しており、今、まさにその子が児童福祉サービスなどを利用するために私が担当するようになってきています。
だからこそ、「次の10年も同じように」という判断は、自分の年齢を考えるとどうしても、児童や保護者の皆様に対して無責任に感じてしまうのです。
私はすでに50歳近くになっており、次の10年は60歳近くになりますし、その後の児童を継続して担当することは困難です。
私自身は、これからもノーマに居続けたいと思いますが、直接のやり取りは次世代に引き継ぎ、私自身のノーマや地域における役割は大きく変わる必要があると考えます。
次世代のノーマの相談支援専門員の育成、計画相談の先駆者としてのノーマの地域における役割。
すでに、県の人材育成にも関わっている私たちですので、実際に、現場に従事する時間は減少の一途を辿っていました。
私自身は何も変わっていないつもりでしたが、周囲から求められるその役割は徐々に変化していたことに改めて気付かされます。
私たちに求められるのは、「継続性の担保」「利用者や保護者を路頭に迷わせない」ことだと常に考えてきました。
だからこそ、10年に渡る「まるで親族にでもなったような」信頼関係は、利用者及び保護者と私個人双方にとって、そう簡単に手放す決断はできづらいなかでも、少しずつタイミングをみて次の世代に押し出してバトンタッチしてきました。
それでも、なかなかうまく進まないのは、利用者や保護者の声が、私に対して「もう少しだけ」という判断をさせてしまうからです(決して利用者や保護者が悪いのではなく、私の判断が甘いからです)。
しかし、今回、最近の私がずっと悩んできたことが、今回、職場の環境の変化によって半ば強制され、実行せざるを得ない状況になりました。
しかし、いつかはそうなることは予想されていたことでもあります。
ただ、今回の配置の変化によって、急にみなさんに担当者又は担当事業所を変えることを求めるものではありません(まだ、私とみなさんとの関わりは実際に継続します)。
慌てて別の計画相談に変更するといったことを勧めたり、判断しないようにお願い致します。
詳細につきましては、後日、郵送にて皆様に送付させていただきますのでご確認ください。
(事業所の皆様も利用者様のお問い合わせにはフォローアップをお願いします。)
以上が、私たちにまつわる大きなお知らせになります。
「計画相談を始めた10年前と5年前、現在そして未来。」
最近、私が考えていることは、『その地域に根ざして計画相談を行なってきた私たちが、これまでと同じ役割「だけ」を担えば良いわけではない』ということです。
計画相談を始めたばかりの頃は、それこそ1年先を行けば「先駆者」と呼ばれていましたが、5年、10年と経過すれば、それは他の事業所と比較しても「誤差」でしかありません。
もはや、私が担わなければならないことは何ひとつなく、かといってこれまで通り「先駆者としての役割」も同時に求められるようになります。
この地区は、すでに計画相談が飽和状態と言われる程、数においては充実した地域になっているのですが、であるならば、今後、必要になるのは、次世代の相談支援専門員に対して、私たち先駆者が相談支援の「明るい未来」を見せていく必要がありますし、そのために私は「次の10年を何をすれば良いのか?」を常に考えていかなくてはいけないと感じています。
最近になり、私、寺川や松田は、これまでの計画相談の業務に加え、相談支援専門員やサービス管理責任者の養成研修のファシリテーターといった公的な役割を担い、他にも計画相談が増えない地域の方々からのノウハウの提供などを求められるようにもなってきました。
別にそれらを私たち自ら求めていたわけではありませんが、計画相談を長きに渡り行なってきたことで、私たちが知らないところで、相談支援専門員として求められる役割の変化を感じるようになりました。
同時に、私たち自身がその役割を担うためには、さらなる専門的な学習や実践に伴う理解が必要だとも感じるようになったのです。
というよりも、私自身が「このままではいけない」といった焦りも感じているのです。
人を育てる役割は、片手間でできるような容易なものではないと真剣に考えているからこそ、私自身にとっての「より深い学びの機会」が必要だと感じているのです。
「深い学びが得られる機会」を求めるならば、私よりももっと経験のある方々と、より広くつながりを求めていく必要があると思っていますし、この場にじっとしていてもダメだといった焦りもあります。
であれば、私にはその時間が必要であり、その時間を創るためには「何かしらを手放す」「自ら距離を置いて自分の時間の確保する」ことが必要となります。
これまで同様に「みなさんの役に立てば良い」とばかりも言えなくなり、かといってこれまでの実績を簡単に手放して終わらせるわけにもいきません。
だからこそ、私が本気で実行しなければならないことは、これまで幾度となくことばにしながらも実行できなかった、「今の私の役割を次の人たちにバトンを託すこと」だと強く感じています。
今の私には、「継続を担保しながら、次の役割を担うこと」が求められているのだと思うようになりました。
当然、これらを求める以上、私自身にも大きなストレスとなることは必至ですし、正直、私自身も性格的には「安全ゾーン」に常にいて、のんびりしていたい気持ちがないわけではありません。
しかし、私自身の時間も有限であり、だからこそ貴重な時間は、私が判断して決断していくしかありません。
来年、私は久留米にある児童発達支援及び放課後等デイサービスの管理者兼児童発達支援管理責任者になることは、すでにみなさんにお伝えしました。
現段階では、今の在籍しているスタッフが児童発達支援管理責任者になるまでの約1年を目処に予定していますが、かといってまたこれまでのようにノーマに戻るかどうかの保証は一切ありません。
しかし今回の異動は、これまでとは違い、より身近なところで私は利用児童並びに保護者に関わる機会となり、法人拠点である久留米において、私自身に新たな出会い、新たな気づきや視点が生まれるのではないかと期待もしています。
だからこそ、私がノーマだけに所属するのではなく、自由に行き来できる体制のなかにいる必要も感じているのです。
皆様への継続を担保するために、信頼できる次世代への役割や権限の委譲を今以上に進めていきたいと思っています。
もちろん、私がノーマに居続けること、みなさんの今を把握していることは前提としてです。
是非、ご理解を賜ればと思います。
「私たちは日々、葛藤の中で業務を行なっています。」
会社の運営や人事にまつわることは、容易に誰でも話せるわけではありません。
職員に対しての「よき法人」「よき役員」でありたいという気持ちは常にありますが、多くの職員の命を預かる以上、その責任は重く、簡単に内部事情を職員含めて口外できるものでもありません。
また、昨日の結論は、今日とは全く違うこともあるし、こちらをとれば、あちらに迷惑もかかり、あちらをとれば、こちらに迷惑がかかる、そんな葛藤は日常茶飯事です。
すべての職員の声をひとつひとつ聞くわけにもいきませんし、たとえ「法人は何もしてくれない」という職員はいても、聞きたいことを自ら尋ねてくる職員は稀です。
仲良しこよしで職員の声だけで判断し行動した結果、自分の組織や法人が崩壊するなんてことは、決してあってはならないからこそ、厳しく評価するようにしています。
それくらいに、法人の運営は難しいと感じるのです。
法人を運営している以上、時には、冷酷になる必要もあります。
時には、利用者や保護者、職員に対して厳しい決断を迫ることもあります。
そんな身を削るような経験を、私は今回まさに行なっているのです。
それは、「今の当たり前が未来永劫続くわけではない」ということ、「変化のタイミングを逃せば、事業継続ができなくなる可能性もあること」を私たちに教えてくれます。
このように私は、法人を運営していくために必要な大きな決断を、これまで計画相談等と同時進行で行なってきたのですが、やはり私ができる許容量には限界があります。
まさに今、その限界を迎えようとしていたタイミングだったと思うのです。
まさにこのタイミングで、私が児童発達支援管理責任者として久留米に移る必要に迫られるのは、どうしても私にとっての何かしらの意味があるのでは?と思ってしまいます。
今回、法人設立以来はじめて、人事にまつわる厳しい決断を行ないました。
だからこそ、その決断が無意味なことにならないように、しっかりと地に足をつけて運営を行なっていきたいのです。
周囲を巻き込まざるを得ない、血が滲むような決断を無意味なことにしたくないのです。
経営者の前に私たちはいち「支援者」です。
本当は、弱い立場の人たちに寄り添う「支援者」でいたいのです。
それは、利用者やそのご家族だけではなく、職員に対してもです。
だからこそ、私たちには理想と現実の間に常に葛藤とストレスがあり続け、それはこの役割を担っている以上、終わることはないのです。
終わらないとわかっている以上、私たちは全力で向き合い続けなければならないのです。
「計画相談の最大の敵は、無理解な法人であるという現実」
「計画相談の最大の敵は、無理解な法人である。」
「計画相談の課題の8割(いや、9割かもしれません)は、独立または計画相談に理解ある法人に所属すれば解決する。」
あえて、私はこれをいろんなところで口にします。
「私たちのいる筑紫地区がなぜ、単独事業所が多いのか?」
「小さな法人であっても、計画相談で楽しく充実した運営ができるのはなぜか?」
「儲からないと言われている計画相談がこの地域に増えたのはなぜか?」
それは、私たちが経営者でありながら支援者であり、誰よりも現場のことをきちんと理解しているからです。
私たちが支援者であり、実践者であり続けるからこそ、現場に正しくモノが言えるのです。
小さな法人が正義を貫くためには、常に私たち法人役員が現場を理解して、主体的に行動できるかどうかにかかっています。
それは、すなわち「変わらないこと」「当初の発言と実際に差(嘘)がないこと」につながり、法人並びに事業所としての信頼を積み上げることにつながることを知っているからです。
そういった環境は、相談支援専門員にとっての法人の信頼につながり、法人の信頼を正しく背負い、責任ある仕事や行動を行なってくれます。
法人は、そういった相談支援専門員を縛る必要はなく、困ったときは、法人がむしろ守りたいと思えるような相談支援専門員が所属してくれます。
結果、相談支援専門員は安心して法人に相談し、報告し、さらに法人への信頼度を上げて協力してくれるようになります。
法人が計画相談の売り上げについて問うのであれば、最初から現任研修修了者を雇用し、相談支援専門員4名体制をつくってから問うべきです。
相談支援事業で利益を得たいのであれば、それくらいのマネジメントを理解してから法人は現場に問うべきです。
それを実現できずに言うのは、「できないことをやれ」と現場に押し付けているようなもの。
それが結果的に、現場の相談支援専門員を疲弊させ、バーンアウトさせるのです。
しかし、今の多くの事業所は、未だその逆を進めているような状況です。
利用者や保護者の計画相談の選び方の基準に、今や「担当者が変わらない」といったことも含まれるようになったことを考えると、有名無名に関わらず、相談支援専門員の安定は必須項目になりつつあります。
移動や退職が多い事業所は、事業所に苦情を言うのではなく、法人に直接伝えることも、もしかしたら重要なのかもしれません。
法人や上司が現場の相談支援専門員を信用しないことは、現場の相談支援専門員は、その先にいる利用者やその家族を信用しないようになるでしょう(対応が適当になるということです)。
それこそが、「パラレルプロセスの本質」だからです。
「福祉を経営する人たちが、福祉を知らない現実」
『1980年代からの先進各国の福祉国家の崩壊と,新自由主義的なグローバリゼーションによる社会変動は社会的排除・貧困・不平等の広範化・深刻化を招き,ソーシャルワーク実践にも大きく影響を与えたと言われる.福祉に規制緩和や民営化が導入されたことや,営利・非営利を問わず多様な事業者が参入したことにより,クライアントを消費者として捉える市場原理が広がった.このような状況下において,福祉の専門職がその根本にあったはずの倫理的な使命と社会変革に通じる手段を提供することのないサービス提供者となっただけでなく,むしろ市民を分断し類型化して差別や偏見を助長する抑圧者の側となっていることが批判されている(Jones et al.=2007;Ferguson=2012;田川2012;竹端2013).』
出典:https://www.jstage.jst.go.jp/article/jssw/58/1/58_153/_pdf
まさに、日本における福祉の問題は、これらの文章が示しているように思います。
やもすれば、私たち相談支援専門員は、「倫理的な使命と社会変革に通じる手段を提供することのないサービス提供者」になってしまっているのです。
「単に、自分の所属するグループ事業所に誘導する。」
「事業所側も都合が悪い相談支援専門員を、自事業所の利用を引き換えに変更を迫る。」
そんなことが当然の如く行われている現実があります。
私たちの地域もまさに例外ではありません。
利用者や保護者は、相談する相手を間違えると、本人や保護者が選ぼうとしていた事業所を笑顔で完全に否定されたり(そもそも、否定すること自体がおかしなことではあるのですが)、その相談支援専門員が懇意にしている事業所に誘導されたりして、本質的な利用者や家族のニーズを無視して、利益誘導をするようなことが起きてしまいます。
最終的にその相談支援専門員、いや、その先は、計画相談全体に対する不信感につながってしまい、未だ地域によっては利用できてしまう「セルフプラン」を選択することも場合によってはあるかもしれません。
セルフプラン率が高い自治体は、セルフプランを許可する期間が長くなればなるほど、計画相談の質は相対的に低くなってしまうのではないかと個人的には危惧します。
なぜなら、セルフプランが選択できる自治体において、相談支援専門員がその役割や意図に則り、本質的に利用者や保護者に向き合おうとすればするほど、利用者やご家族は、計画相談とのやりとりや手続きを面倒に感じてしまうし、計画相談の手続きは手間であり、時間の無駄だと利用者やご家族が思えば思うほど、セルフプランに逃げられないように、効率化を優先するだけの計画相談が地域に残ってしまうようになるからです。
結果、相談支援専門員としてのアイデンティティは確立できずに、地域から退場するケースが後を立ちません。
その心理的逆境に耐えつつ、私たち計画相談は、そういった課題に丁寧にアプローチしていき、少しずつ、でも着実に、分断された利用者や保護者と福祉の間を、連携や協働により統合していく支援を心がける必要があります。
しかし、それができるパワーのある相談支援専門員もまた、地域には少ない現状があるのです。
であるならば、法人の枠を超えて、地域の相談支援専門員を地域の力の育てていく活動を行なっていく必要があると思うのです。
「役割が変わるチキンの会」
今から5年前、計画相談の相談支援専門員のあつまりとしてはじめた「チキンの会」。
これまで私が中心となり「チキンの会」を引っ張ってきました。
今回、私が久留米の事業所の児童発達支援管理責任者となることから、物理的にチキンの会に参加することは、容易ではなくなります。
同時に、私は、時間が許す限りすべての分野に参加するように努めてきましたが、今後、それ自体も困難になります。
であれば、私自身の「チキンの会」との向き合い方も大きく変わることになります。
同時に、まだ計画相談の数が少なく、相談支援専門員が安定しなかった黎明期には、今の形でのチキンの会の存在は、大きな意味があったと思っています。
その功績は一定数あると思っており、この地域に極端に評判の悪い計画相談支援事業所が少ないのは、手前味噌ですが、私たち自身が研修やつながりをもつことで、一定の質の担保につながったことが要因のひとつだと思っています。
しかし、これだけの計画相談支援事業所と相談支援専門員が地域に増えた現在は、これまでのような自助グループ的なままでは、地域の相談支援専門員とのつながりを維持することは難しいようにも思います。
別に、今のこれまでの形を維持することに反対しているのではなく、別の形で更なる支援技術の向上を図ることも、重要な意味があるのではないかと思っているのです。
また、チキンの会の功績は、まだ計画相談が不足している地域の一助になることは明白で、そういった意味では、地域福祉向上のための支援として、別の地区もしくは圏域を超えて出向くような役割があっても良いのかなと思います。
例えば、私もせっかく久留米に行くことが増えるので、久留米地区で協力者がいれば、計画相談の集まりを主催しても良いのかなと思っています。
一般社団法人の代表理事は変わりませんが、これまでの「チキンの会」は、次のチキンの会を継承してくれる人にバトンタッチをしていきたいと思います。
もちろん、私もできるだけ時間をつくって、参加を継続する予定です。
私自身もまた、引き続き、「おしゃべりおばけ」としての役割を担っていきたいと思っています。
「ノーマは、ノーマ2.0から3.0へ」
計画相談支援事業として、事業運営と計画相談のアイデンティティの確立を求めながら、地域に認められる事業所になること。
=『ノーマ1.0』
地域の福祉同業者、他業者とつながり、相談支援専門員の孤立防止、地域における計画相談の質の向上を図ること。地域の計画相談の発展に貢献すること。
=『ノーマ2.0』
地域に計画相談が充足するなかで、地域における計画相談の「中核」として、地域に求められる計画相談、ソーシャルワークとしての役割を自ら研究し発信していくこと。また、その技術を求める意欲の高い法人や相談支援専門員に技術移転・フィードバックしていくこと。
=『ノーマ3.0』
私たち「計画相談支援室ノーマ」は、地域におけるノーマの存在意義として、計画相談支援事業以外に、地域の計画相談の先駆者としてのノウハウを蓄積、分析、研究し、伝えていくための「中核的機関」になるために、今後はより一層、努力していくつもりです。
ノーマが地域の相談支援事業の「ハブ」となり、地域の相談支援事業に従事する方々のスーパービジョンを提供する「人材育成」や相談支援専門員のメンタルヘルスをサポートするための「相談窓口」として、その支援や技術を伝えていく新たな中心的な機能を提供できるように体制を構築していきます。
それは、先駆者としての機能というよりも、長年取り組んでくるなかで見えてくる地域課題と、ノーマに集う主任・現任クラスの相談支援専門員たちが、自分たちに求められる役割を認識し担いながら、積極的に実行し、その結果として自己理解・自己覚知を進めていくためでもあります。
ノーマに所属するすべての相談支援専門員には、自分たちの業務を超えて、地域における公的な役割を担っていってもらいます。
であるならば、ノーマの職員として採用する基準も、より一層、具体的になりますし、また、採用枠は今後は、順次拡大していく予定です。
なぜなら、それは最終的に、私たち計画相談の相談支援専門員としてのアイデンティティの確立に向けて、一歩ずつ着実に進めていく作業であり、ノーマにいる以上、逃れられることのできない道だと思うからです。
だからこそ、計画相談の相談支援専門員としてポジティブな思いを抱える方々に、参画してもらえればと思いますし、そう言ってもらえるような事業所にこれからも進化していければと思います。
「さらに混迷を深める社会情勢に対抗する力を」
おそらく、政府は障害福祉を含む介護・福祉の現状を真剣に考えてはいないのだと思います。
ですが、「それでは仕方がない」と諦めるわけにはいきません。
この業界に従事する以上、制度施策がない状況からでも必要なことは頭を使って生み出していく必要があると思います。
そのためにも、私たち相談支援専門員は、計画相談として地域のセンサーとしての役割を担いながら、その情報をベースに新たなサービスの開発を行なっていく必要があるのです。
小さな一地方だからこそできることが、きっとあるのではないかと思うのです。
民間に余裕がなくなっている時代だからこそ、考えること、行動することを常に思いながら進んでいくしかありません。
なんせ、何もできない状況でも、私たち計画相談の相談支援専門員は利用者やその家族、そして地域社会に寄り添っていく必要があるのですから。
今回の「ノーマ通信2024年号」は、ノーマと私の決意表明のような内容になってしましました。
それくらいに、いろんなことを考えた年末でした。
この1年は、喜びや怒りよりも悲しみの方を強く感じた1年だったと思います。
利用者やご家族、支援者及び支援機関の方々に求められると、自分の思いは揺らいでしまい、大切な決断を先送りしてきたここ数年でしたが、もはや、法人運営上、私ひとりではどうすることもできなくなるくらいに、来年そうそうから大幅な変更が起きてしまいます。
私たちの法人も、決して磐石ではないのですが、ノーマを維持するためにはそれ以外の法人内事業所に結果を残してもらう必要があるのです。
今回は、その一旦でもある久留米の放課後等デイサービスを支える必要があり、それは言い換えると、ノーマを維持するための異動でもあるのです。
人手不足は、私たちの業界においては危機的状況と言えます。
お金を人よりも多く出せばなんとかなるかもしれませんが、福祉事業のみを行う法人にとっては、やはり限界があります。
その結果、事業所の継続が難しいになっては意味がないのです。
ノーマのために、私は久留米に行きます。
「経験から実践は生まれる」
昨年11月中旬に、ひとりで10日間の「オスロ〜ベルゲン〜コペンハーゲン」の単独旅行に行ってきました。
今回は、法人の事業運営が芳しくない状況のなかでしたが、これまでと違い、全行程ひとりということで、緊張と不安の連続となることが予想されましたが、「行かない」「延期する」といった気持ちにはどうしてもなれませんでした。
なぜなら、明日、再びパンデミックや戦争が起きる可能性もゼロではなく、「行きたい時に、必ずしも行けるとは限らない」と思ったからです。
一昨年は、フィンランド・ヘルシンキに3年越しでいくことができましたが、そのときの感情は「自由に国を跨ぎ移動できる」よろこびであり、いかに精神的に制限がかかっていたのかを実感する機会となりました。
今回も、「自費であっても行く」という思いにさせてくれたのは、ある意味「コロナ禍」の恩恵でもあります。
残された人生を考えた時に、諦める理由もたくさんでてはきましたが、「今、行かなかったら、来年に行ける保証はない」という決意が揺らぐことはなく、自分の決断を曲げることはできませんでした。
北欧を選んで旅行に行くのは、高福祉国家と呼ばれる国を肌で感じるためです。
生活するように旅行をするという私のモットーを実現してきました。
物価の高さは北欧一とも言われるなかで、さらに円が弱いということもあり、大きめのサンドイッチとコーヒーだけで5000円近くになる物価に恐れ慄きましたが、そこで生活している人々は、笑顔にあふれて、楽しそうに過ごしていました。
それだけ、給与も社会保障も充実していることが、生活をみるだけでもわかります。
同時に、ヨーロッパ全域で問題となっている移民問題は、北欧のノルウェーでも深刻な問題になっていることは、十分に予想できました。
北欧の人々は、人件費がものすごく高い国であり、同時に労働時間は短く、「働かない国民」としてノルウェー人はヨーロッパ諸国でも認識されているようです。
それでも国が維持できているのは、皮肉にも「北海油田」からとれる石油があるから。
北海油田で取れる石油の売り上げのほとんどは、国が管理する基金に運用されており、その運用益で高福祉を維持していると聞いたことがあります。
一方で、海外に石油を売り、二酸化炭素を大量に排出させ、国内は電気自動車の普及に力をいれて、二酸化炭素排出量を減らしているとの批判も多くあるそうですが、それでも、売り上げを基金運用して、その利益で福祉の維持に使うと言ったあたりが、国民を向いた政治を行なっていることを表すエピソードではないでしょうか?
まだ、クリスマス前1ヶ月ということもあり、クリスマスイルミネーションやクリスマスマーケットが出始めの頃でしたが、マイナス8度の中で見たクリスマスマーケットは、とても美しくそして温かさ感じました。
オスロやベルゲンの街並みも美しく、全く文化や価値観が違う国を訪れていることを改めて認識します。
ことばも通じない国では、私自身が「いきづらさを抱える代表」みないな状況であり、思っていることをなにひとつ実現できない不自由さを私自身が感じることで、いかに障害を抱える人たちが生きづらさを感じているのかを実感することができます。
ことばがでない人や目が見えない人、聞こえない人は、きっと相手に十分に伝わらないもどかしさを日常に感じていることでしょう。
ことばにするには容易ですが、実際に海外などで体験してしまうと、その大変さに思い知らされずにはいられません。
私が感じる生きづらさは、あくまで旅行期間ですが、障害を抱える人たちは、その生活がずっと続くのです。
そういった思いに寄り添える支援者でありたいと強く願います。
時折、日本語が少しわかる人がいると、私自身がホッと安心することがあるように、きっと、障害を抱える人たちも、自分に対して理解を示してくれる人がそばにいると、同じように安心することができるのだろうと思います。
私たち支援者も十分わかっているように思いますが、やはり、見知らぬ土地に行き、自分自ら不自由さを体験すると、もう少し相手の立場を考えるようになります。
帰国後の利用者やそのご家族への権利擁護や支援につながるのではないでしょうか。
だからこそ、実際に体験することが重要であり、体験を通じて「実感する」ことに意味があるのです。
今やネットですべてが成立する時代。
以前のように電車の切符を買うといった行為もなくなりつつあります。
言い換えると、スマートフォンがないと北欧でも生活はできなくなりつつあります。
ノルウェーでもデンマークでも、現金をみたことは一度もありません。
現金があっても、むしろ物やサービスを購入できません。
高齢者も上手にスマートフォンや電子カードを利用しています。
日本におけるデジタルリテラシーの低さは目に余ります。
学ばない大人たちは、世界から本当に取り残されていくのではないでしょうか?
本当の意味でのICTと効率化は、もはや学びをやめてしまった大人の出る幕ではないのかもしれません。
海外に行くと、日本への危機感が露わになります。
単にそこで過ごすだけで、その国の持つ強さや課題を感じることができます。
同時に、日本人であることへの自覚と、それに伴う生きづらさの実感、乗り越えるための手段と実行力、そんなことをずっと考えてしまいます。
食べることはできても、ことばが通じずに注文できないからこそ、食べたいものは食べられない。
食べるためには、事前にことばを調べるだけではなく、自分の抱える不安と緊張を乗り越えて実行する必要がある。
言い返された時に、そのことばが理解できるかどうかの不安。
お店の誰に話せば、やさしく教えてくれるのか?
そこに寄り添ってくれる人がいることへの心強さ。
そういったことを考える機会を、ひとりで見知らぬ土地で実感できれば、帰国後の支援者としての動きに変化が生じます。
少なくとも、私が海外に視察にいく理由はそこにあります。
そして、また自分には与えられた使命があると感じて、新たな気持ちで1年を迎えることができるのです。
是非、勇気をもってみなさんも新たな一歩踏み出してほしいのです。
今年は辰年であり、昇龍の年。
私自身も不安と緊張、恐怖と対峙しながら、自分自身と周囲の変化を受け入れ、新たな一歩を歩んでいくつもりです。
令和6年もどうぞよろしくお願いいたします。
コメント
コメントを投稿