福祉が福祉らしくあるために必要なこと。



最近、SNSを見るなかで、障がい福祉を担う支援者同士を分断させることばが多いように感じます。

新しく参入する人たちが発信する内容に、特に多くみられるように感じるのですが、これまでの福祉を担ってきた人たちを、ある意味「古い人間」「変化しない人間」と否定するようなことばが多いのが気なります。

確かに、部分的に一理あるとは思いますが、だからといって、そういった人間をあたかも間違っている存在として否定するのもどうかと思います。

かつての福祉や介護業界は、いわゆる「措置制度」によって守られた業界でもありました。

それは、社会福祉法人しか与えられていないサービスも多かったですし、作業所などの通所系のサービスであれば、法人格を持たない家族会や当事者団体によって運営できていた時代であり、寄付や自治体による助成金など、自前の資金でなんとか運営を維持するといった状況でした。

ということもあり、当時はそもそも儲からないし、参入障壁も高かったのです。

しかし、小泉・竹中構造改革の波に乗って自由化され、参入の門戸が広がったことで、結果、参入障壁が低くなり、国が提供する障害福祉サービスとして制度化され、法人格を持っていれば誰でも開設・運営ができるようになりました。

私たちも含めて、今、立ち上げている人たちは、まさにその恩恵を受けているのです。


当初は、社会福祉法人に所属していた中堅やベテラン職員が、自分たちの考える支援や理念を形にするために、銀行等から資金を借り入れ、所属していた社会福祉法人から独立するという流れが起きました。

それが徐々に広がり、運営することで「そこそこ儲かる」「安定している」「取りっぱぐれがない」といった部分ばかりに目を向け、すでに開設して成功した民間企業が、ノウハウとして知識を得て、コンサルタントを始めるなどによって、より民間企業に情報が広がり、それら口コミによって新規参入が増えたのです。

以前のように中堅・ベテランの人たちが独立する流れは、現在もある程度ありますが、今、参入してくる多くの事業所は、まさにこれらの情報に飛びついて参入するということが基本にあります。

しかし、配置基準の関係もあり、現場はこれまでの経験者が担っていることがほとんどですが、そのオーナーたちによる発信が、まるで既存の福祉に対するネガティブな発言につながっているように思えるのです。

その背景には、オーナーの思いと現場の思いの温度差によるもの、これまでの一般企業で通用してきたことが、福祉業界では通用しないことへの葛藤など様々な原因があるのではと予想しています。

「福祉の現場で働く職員は、新しいことへの積極性がない」

「福祉の現場で働く職員は、向上心に乏しい人が多い」

そんなことばを発信している人が多いこと多いこと。


実は、私自身も一時期、そう思った時期がありました。

一応にも民間で働いてきた私でしたので、いつのまにかその時の基準が、私のスタンダードになっていたのでしょう。

しかし、私がすぐに方向転換できたのは、背景に福祉の歴史や技術を学ぶ機会があったからだと思いますし、地域の障がい福祉の現場での経験を重ねるなかで、そこで共に働く人たちと深く関わり、向き合ってきたからかもしれません。

私のスタンダードは、必ずしも他の職員や同僚にとってスタンダードではないという当たり前のことを忘れていたようにも感じました。


例えば、そもそも介護や福祉は、国による、民間の景気によって溢れ出る人たちの受け皿として、いわゆる「雇用の調整弁」としての役割を期待され、担わされてきたということです。

かく、私もその中のひとりで、私が大学を卒業する頃、いわゆるバブルが崩壊して、急速に景気が悪化。

当時、大学の経済学部の卒業を控えていた私は、毎日のように流れる不景気や倒産のニュースに、本当に就職ができるのか?といった不安が付き纏っていました。

「とにかく、選ばず就職するように!」と大学の進路相談係から繰り返し言われるくらいに、なかば、自分のやりたいことを考えながら、将来を選択できるような状況ではなかったのです。

その頃から「派遣社員」ということばも出てきており、中には、「大手でいろんな仕事の経験をするために、あえて派遣社員になる」といった学生もいたと思います。

しかし蓋をあけてみたら、人財の切り捨て場になっていることは、その後を知るみなさんは、すでにご存知の話でしょう。


その後しばらくして、介護のヘルパーブームが起きました。

まさに、「これからは高齢者を支えるヘルパーといった介護の時代が来る」といった感じで、当時の介護大手のコムスンやニチイの宣伝も多かった気がします。

その背景には、国による失業対策という一面が大きいのですが、その流れに乗って、ヘルパー2級の資格を取得した人も多かったと思います。

あの時代、失業中だった私も例外なく、ヘルパー2級の取得をしましたが、同様な人たちも多かったのではないでしょうか。

おそらく、当時は社会に馴染めなかった人たちが、不景気のなか再就職も難しく、就職したとしてもブラック企業で、高い営業ノルマが課せられ、成績が伴わないと、今でいうパワハラも横行していた時代。

そんな労働者に冷たい社会からこぼれ落ちた人たちの多くが、低所得が当然で慢性的な人手不足の高齢者介護や障害福祉業界に入ってきた人も多かったと思います。

なぜなら、私こそがその時代の体現者だからです。


今、まさに、あの時代に介護・福祉業界に入ってきている人たちが、現在の業界を担っているといっても過言ではありません。

周囲を見渡せば、私の同世代ばかりになっています。しかし、私はまだ良い方かもしれません。

なぜなら私は、奇跡的に国家資格取得のための専門学校にいくチャンスがあり、1年の通学の末、国家資格も取得でき、自分のキャリアを向上させることができたからです。

そのおかげで、福祉業界での今があります。


しかし、大学卒業後にいったん就職し、結果、数ヶ月で退職してアルバイト職員になったとき、このまま自分は社会から落ちていくのではないかという不安に苛まれていました。

右往左往しながら、なんとか目の前のことに必死で取り組んできた先に、たまたま医療・福祉業界の門を叩くことができた、今思えば、ただそれだけです。

今でも、こうやって当時を思い出しながら文章を書いていると、当時の苦い記憶がふと思い出して、胸が苦しくなります。

もし、あのまま落ちていたら・・・そう思うと、今でも胸が締め付けられます。

結婚も、人生も諦めていたかもしれません。

そして、今の私があるのは、経験も実践も乏しいある程度年齢も重ねていた私を、一般企業では通用しなかった私を、人手不足の業界だからこその、多様性を受け入れてくれる業界によって救われているのです。

私以上にチャンスを掴む機会がなくて、必要とされるがままに、私たちの業界にいる人たちがどの程度いるでしょうか。


そして、現在はどうか?

やはり、今も昔も高齢者介護も障がい者福祉も慢性的な人手不足で、コロナ禍でさらに顕著になり、今では、この業界は応募すれば誰でもどこかしらに就職できるくらいの人手不足な状況です。

そうであるからこそ、今でも変わらず民間企業から切り捨てられた、排除されたひとたちの受け皿にもなっていますし、社会の一線から離れた高齢者などの労働の受け皿にもなっています。

時代は変われど、私たちのときと何も変わっていないし、社会から求められている役割も変わっていないのです。

もっと明確な言い方をすれば、利用者のニーズは「専門的支援」であっても、担っているのは介護や福祉をしらない初めての方も数多くいますし、国も、受け皿としてそれを求めているのです。

そんな業界で、支援者を気取ってマウントを取ること自体が本末転倒であり、この業界で生きている私たちも、同業者を見下すことは、自分に唾を吐いているようなものなのです。


私は、大学卒業後にいったん社会に出て、そしてすぐにやめてアルバイト職員になり、毎晩、コンビニのアルバイトをしていたときに感じたあの将来に対する「不安」「恐怖」は、今でも忘れられません。

だからこそ、そのときの私をこうやって受け入れ、認めてくれている今の業界に対して、そこで働く人たちにマウントを取る気にもなりません。

少なくとも事業経営に参画している私は、利用者や利用児童に対する支援と同様に、働いてくれる職員にも同様の視点で対応するようにしています。

きちんとわかるまで伝える、厳しくいうことがあっても、私から見捨てることはしない。

積極的に動く人、向上心を持って取り組んでいる人はもちろん評価しますが、逆にそうではない人であっても、その人の働き方や役割を認める。

私の背景にはこれらがあるからこそ、私は、職員を容易に切り捨てることはしませんし、それをすることは、目の前の利用者を切り捨てることにつながると考えています。

であるならば、分断するようなことばを投げるよりも、自分の力を発揮できる環境を提供した方がWin-Winだと思います。


新しく私たちの業界に参入する人たちにお伝えしたいのは、自分が業界を変えようと意気込むことは別に構わないですが、その業界で働く人たちにも、利用者同様に様々な人たちがいて、その人たちも含めて福祉業界であることを忘れないでほしいのです。

そもそも、福祉業界は、そこに利用者がいる以上、簡単に潰せない制度になっているのです。

それでも事業所を容易に潰してしまう方は、もともとの経営のセンスがないか、危機管理の乏しさ、公的機関としての意識の乏しさだと思います。

ちょっと福祉事業でうまくいっているからといって、自分が『優れた経営者気取り』でいるのは、私は実際に運営しているものとして見ているだけで恥ずかしさすら感じます。


業界を変えると意気込んで、業界を変えることを宣言して、働く職員の多様性を失ってしまうのであれば、それは本末転倒です。

あなたのその「前向きな発信」が、同じ業界で働く人たちを傷つけているかもしれないことを、少し心に留めてもらえるとありがたいです。


共に働くことの意味を問い直す: 職場の現象学入門 


少しでも、私たちの職場が働きやすい環境になるように。

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