医療的ケア児者の担当をしない私が、医療的ケアの学びが必要な理由。
まず、第一に伝えておきたいことは、私は、計画相談を行う者として、医療的ケアが必要な方の受け入れは一切受けないようにしています。その理由は、私にとってはとてもはっきりしています。
私にとって、これまでの障害福祉における約20年の経験のなかで、精神科医療や発達障害についての知識や技術は持ち合わせていたとしても、医療的ケアに対するノウハウは、全くといって良いほどありません。ノウハウが全くないということは、私が担当したとしても、お役に立てずにご迷惑をおかけすることになるし、初動の遅さにもつながり、場合によっては、命にもかかわるのではないかという不安もあるからです。
多くの相談支援専門員は、例えば、経験上の知識だけで、精神障害をお持ちの方に対する計画相談を行なっていますが、精神障害をお持ちの方々も、突発的な行為によって、大切な命を落とすケースは数多くあります。本当にそのような現場に直面したことがあれば、常にそういったことが起きる可能性を危惧しながら、真剣に業務に従事していると思います。であるが故に、特に私にとっては未知の領域である医療的ケアの方に対しても、中途半端な思いで対応することはできないと考えているのです。
だからこそ、計画相談として加算は確かに取得できる「医療的ケア」に関する学習会には参加してこなかった経緯があります。チャレンジしない、許容範囲を広げようとしないのではなく、中途半端にしか対応できないことを自分で理解しているからです。
次に、計画相談をはじめた頃、今から8年くらい前に、私はひとりの肢体不自由児の方を担当させて頂いたことがありました。それは、それまで精神科領域でしか仕事をしてこなかった私にとっては、完全に未知の領域であり、まったくもってその役割を担うことに対しての自信がありませんでした。
お母様は、当時、計画相談を求めて市から渡された計画相談の事業所一覧をみながら、上から順番にすべての事業所に連絡を行い、最後の最後に、私の事業所に辿り着いたと言われていました。私が断れば、行き場を失う状況だったわけです。お母様には、「私は肢体不自由な方を担当したことはなく、正直、お役に立てるような知識や技術はないので、ご迷惑をおかけすることしかなくて不安なのですが、それでも私が担当してよいでしょうか?」と正直な気持ちをお伝えしました。しかしそれでも他に頼む人がいないので、お母様は、それでも私にお願いしたいと言われたため、その時は、私も「今の現状、担当できるのは私しかいない」という責任意識が芽生え、お受けすることになったのです。
最初は、お母様のご希望通り、順調に対応することができていたのですが、支援学校高等部を卒業して、身体障害の方を中心にお預かりする大規模な施設の利用を開始して、そこでも楽しくてのびのびと通所を継続されていたのですが、しばらくして、突如体調を崩し、大学病院に緊急入院、胃ろうによる経管栄養が必要な状況になってしまったのです。その後、しばらくして、大学病院の医療連携室からひっきりなしの電話がかかります。その時の私は、医療的ケアのノウハウが全くない状況に加えて、自分のキャパを超えた、たったひとりで220名の計画相談の担当がおり、精神的にも肉体的にも追い詰められていた状態でした。会議中にも鳴り止まない医療連携室からの着信履歴に、私自身もどのように対応したらよいかわからずに、電話をとって、医療連携室の方に「私は、医療的ケアのノウハウが全くなくて、そういった事業所の知識も何もないのです。お母様には私からお伝えするので、計画相談の移譲をご検討いただけないでしょうか?」と思いを伝えたのです。しかし、その時の連携室の看護師さんはすぐに状況を把握して、早急に動いて頂きました。そのことにも私は大変助けられたのですが、それ以上に、お母様にご連絡した際に、お母様から「今まで本当に無理を言ってすみませんでした。十分やってもらいましたので大丈夫ですよ。」と言われたことで、私の緊張の糸が切れてしまい、私は、こころのそこから申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまったのです。自分が安易に受け入れて、その結果、せっかくここまでの関係性を構築して、こういったときにこそ、計画相談として全面に出ていかないといけないときに、私自身の手から離す選択をしたことに対して、自分自身に対する失望と、ただただ悔しさと後悔の念に苛まれてしまったのです。
専門職としての私自分の在り方に、これほどの後悔とインパクトを与えた出来事は、私にはありません。先ほどの話のように、担当していた方が、突然亡くなった経験はしていますが、それでもどこかで、「ご本人の選択したこと」と割り切ることもできましたが、その出来事は、私が、私の限界を感じ、自ら手放したということなので、自分自身に与えた衝撃は大きなものでした。もし、今の私が医療的ケアを担当するのであれば、私は、医療的ケアだけを担当することを前提に、今、まさにそれに取り組んでいる方から学びを得て、自分の支援を見てもらいながら、その場で一通りやってみて自信をつけてから、利用者さんの受け入れを行うと思うのです。しかし、当時の私にとっては、抱える担当が多すぎて、そういった機会を自ら得ることすら不可能でした。
このときに、「私の専門性はなんなんだろう?」という思いを強く抱くことになったのです。
今、私が受け入れの障害種別を限定しているのは、こういった過去の経験があるからなのです。医療的ケアに対して「受け入れ可能」と一覧に書いてあること自体、私自身が許せないのです。利用者は、そこに書いてあるから連絡をしているのであり、断られる機会が増えれば、当然、相手も傷つけることになるからです。それなら、最初から書いてない方がよいと思っています。「私は、私のできることで貢献する」という思いに至ったのも、こういったある意味、担当していた方の犠牲の上に、私は大きな学びを得て、今に至っているのです。同時に、私は人の犠牲の上に学びを得ることを可能な限りしないためにも、自分を限界を理解するようにもなったのです。
そもそも、利用者で実験するようなことはあってはならないはずです。医療の現場であっても、手術経験のない医師だけでオペをすることはないはずです。みなさんだって、そんな医師に、オペを依頼することはないはずです。そこに、百戦錬磨のベテランがいることが大切だと思うのです。それは、私たちも同様です。見様見真似で計画相談をされたら、困るのはご本人です。その人に出会わなければスムーズにできていたことが、実験台にされたのではたまったものではありません。
だからこそ学びは必要であり、自分には関係なくても医療的ケアの学びは必要だと感じています。それは、自分でやるやらないではなく、そういった学びの場にいくことで、医療的ケアを実際に対応している支援者とつながることができるからです。つながれば、その方につなぐことができるし、顔が見える関係性ができれば、きっと素晴らしい支援を行なってくれるはずだからです。
そして、私のもうひとつの役割としては、そのつながりを持って、私の地区にも医療的ケアを引き受けてくれる計画相談の方を支援することです。自分ではできなくても、その部分を担当してくれる計画相談がいれば、その人をみんなで支えていけば良いと思っています。そのためにも、知識や技術としての学びは得ておきたいと思う今日この頃です。
ということで、前置きが長くなりましたが、那珂川でも医療的ケアの勉強会を開催します!うちには関係ないではなく、気軽に話を聞いたり、質問できる環境だからこそ、ご参加いただけたらと思います!
令和4年1月21日(金)午後7時半から
場所:博多南駅前ビル2階ナカイチフリースペース
テーマ「医療的ケア児者のエトセトラ」
講師は小さなたねの相談支援専門員の才津さんです!
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