ニーズに基づく療育(発達)支援なのか?療育(発達)支援のためのニーズなのか?
写真は、デンマークのチーズ!毎年デンマークに行っていたなつかしさを感じつつ、年末年始の久留米のトライアルに大量にあったのでw
久留米在住のわたしからすると、私の担当範囲が違うとはいえ、大きな出来事として捉えています。特に、私たちも、いつ、虐待を起こす側になるかわからないからこそ、こういった事件を「他人事」としてスルーするわけにはいかないと考えています。
以下の話は、私が知りうる限りの話であり、私自身があくまで耳にした話とはいえ、当事者からの直接の話ではないこと、検証したわけではないことを前提に、みなさんにはご理解いただいた上で聞いていただきたいと思います。
今回の渦中にある事業所は、いわゆるその地区の発達支援の業界の中では、知る人ぞ知る有名な先生が運営している事業所だったと思います。そこで働く方々以上に、その先生が関わる事業所ということで、みなさんご利用されていたのだと認識しています。場合によっては、計画相談もその子の成長を期待して斡旋していたのかもしれません。
過去には、市内の当事者団体や家族会団体なども、その先生を招聘して学習会を開催するなどしていたと思いますし、その先生の知識や技術を聞いて、我が子の発達に良い影響を与えたい、そういった強い想いを持ったご家族や、実際の発達支援に関わる支援者が参加されていたようにも思います。
ただ、私自身が関わる方の一部は、過去にその先生の療育支援をお願いした保護者もいましたが、少なくともその方は、否定的な感情を持っていたように思います。また、我が子に対するその方の支援の様子を、親として見てられなかったという話も耳にしたこともあります。
それでも、多くの方々が、我が子の将来を不安視し、すがる思いで頼っていたことも確かであり、おそらく、一部の方については、それ相当の結果も出ていたのだと思います。ただ、その結果が、その先も良い影響を及ぼすかどうかまでの評価は行なっていないですし、把握していないので、その後がどのような状況であるのかは、私が知るよしもありません。
そうやって、賛否両論の意見がある中で、今回の虐待事件として挙げられたわけですが、その先生の教えを忠実に守った支援者が、結果的に虐待案件として、通報されたのだろうと予測してしまうわけです。
しかし、果たしてこれは、虐待事件を起こした運営法人並びに事業所だけの責任として扱って良いのでしょうか。
もしかしたら、虐待事件があった今でも、利用していた多くの方は、「先生は間違いない」と信じて、再開するのを待っている可能性だってあります。それでは、虐待はこれからも続くかもしれません。実際のところはわかりませんが、万が一、これが事実であれば、療育を盲信することによる大きな弊害だと感じるのです。
そもそも、お子さんの将来を不安視して、なんとかできないものかと悩んだ末の選択だとは思いますが、本当が例え成長することができたとして、本人は本当に、その選択に幸せやよころびを感じることができていたのかという点は、大人である私たちは、特に注意を払うべきだと思っています。
今や、子どもにも『自分の意見を表出する権利』(子どもの権利条約の中に記載)があります。
私たち親は、「我が子のため」という言葉を利用して、様々なものごとの決定を行いますが、実際に本人がどのように思っているかまでは、あまり考えてはいないのではないでしょうか。逆に、どうでもよいことは、本人が「やりたくない」「行きたくない」と表出すれば、「本人が行きたくないと言っていますので」と安易に決断することもあります。
別に、保護者が決めたことに対して文句を言いたい訳ではありませんが、虐待の背景にあるものは、「大人のエゴ」も一部あるのではないかと想像してしまうのです。私たち親が「我が子のため」と言うことば、支援者が「お子さんのため」と言うことばは、なんでも許される「水戸黄門の印籠」ではないということを改めて思い知らされます。
今や法律にも、親がしつけと称した体罰も禁止されていますが、そうやって行なった虐待を「本人のため」という言い訳が通用するはずはありません。それが、支援者に変わったところで、相手に対して第三者が叩く行為が許されることはありません。
いや、そもそも、叩いたり、殴ったりして自閉症スペクトラムやADHD、LDが改善するなら、今ごろみんな改善していても良いはずです。療育支援と口にすれば許される、そんな暴力はないはずです。しかも、似たような話は、有名な民間療育を行う団体や有名な療育支援事業所にまつわるのもたくさん耳にしますし、そういった事業所を、まるで神様のように扱う保護者や支援者がいるのも事実です。
「あなたのお子さんは将来、犯罪者になりすよ」と言い切った、有名療育センターの作業療法士。
保護者が、紹介された事業所の利用を断った際に、「あなたのせいで、お子様は悪化しているのじゃないですか?」とお母様に言い切った、有名な法人が運営する計画相談の相談支援専門員。
ただただ、丸一日、扉を開け閉めし続ける児童をみて、「あの子は、あれしかできないから」と言い放った、地域でも有数の放課後等デイサービスの代表。
これらのことは、みなさんが「神様」と信奉している方々が言っていたことであり、だからこそ、いつも「自分は盲信していないか?」「こどもの意思を無視していないか?」と立ち止まる、気づくことで、虐待を防ぐことも可能なのだと思うのです。
福祉の立場で支援するものとして、少なくとも私は、神様や先生と呼ばれることに対しては、絶対的な拒否反応があります。福祉現場で働く相談員としての私にとって、「先生」になることは、上手にご本人や保護者さんと関わることができていない証拠だと思っています。
私は、この気持ちがわかりあえる支援者のつながりを求めたいです。(あくまで、私の個人的な感想であり、皆様に強要するつもりはありません。)
これが、今回の事件をきっかけにした私の決意表明です。
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