【新年特別号】2023年(令和5年)ノーマ通信

新年あけましておめでとうございます。

本年も計画相談支援室ノーマをどうぞよろしくお願いいたします。


正直に言いますと、今年は新年のブログの更新を止めようと思っていました。

というのも昨年2022年は、私個人の実感として、これほど計画相談としての業務のなかで、「何かをやり遂げた」「新たな自分を見出した」といった実感のない1年だったからです。

いや、実際に結果を残したことはたくさんあるのかもしれませんが、私の気持ちのなかで、様々な思いと葛藤、失望などに支配された、とてもポジティブになれるような1年ではなかったからかもしれません。

今年は卯年ということで「年男」となることに加えて、2月に、私は計画相談をはじめて丸9年を迎えることになり、いよいよ私にとっての2023年は、計画相談をはじめて10年目という区切りの年となります。

だからでしょうか、2022年は、私にとってこれからの私の福祉人生の向き合い方や生き方について、ただただ悩み続けた1年でもありました。

年齢的にも50歳が確実に近づいてくる中で、私が計画相談の相談支援専門員として残された年数は着実に減少しているという実感を改めて感じるのです。

自分の不摂生な生活が悪いのですが、精神的だけではなく身体的にも、徐々に健康診断の数値が悪化の一途を辿り、いよいよ冗談ではすまない程度まで悪化してきました。

みなさんには笑い話ですませていますが、2022年は、とにかく毎月のように痛みに悩まされた1年でした。

私の場合はノーマの業務が終わると、法人の運営業務も行っていますので、帰宅が午後10時過ぎと夜遅くになるために、週末を含めて毎日外食せざるを得ないことがさまざまなトラブルの要因とも言えます。

また、帰宅時間も遅いことから、自分の時間を確保することを優先して、これまで運動などは一切行なってきませんでした。

そしてみなさんもご存知のように、コロナ禍で不安定な法人運営や経営は、私たち役員にとって相当なストレスもかかっていました。

ほぼ100%毎日外食が中心の生活を送り、帰宅後はただ寝るだけですので、それは、もはや身体的にも悪化することになるのは当たり前といえば当たり前です。

特に今年の健康診断の結果はひどく、もはや年齢だけではなく、体調もひどい状況で命に関わると言える1年だったかもしれません。

ということで、2022年からは、毎月の病院通いと服薬が始まりました(笑)

同時に、今ではほぼ毎日6〜7キロ、時間にして1時間ちょっとくらい歩くようにしています。

おかげで、少し体重が減少してきました。


これまで皆様には繰り返しお話してきたことですが、計画相談の最も重要なことは「継続性」であり、どんなに質の高い支援が行われたとしても、2〜3年でいなくなるようでは意味がないということは、同業者の仲間にも言い続けてきたことですし、これまでの私の経験のなかでもっとも優先して考えてきたことです。

だからこそ、私は「自分という存在がいなくても継続されること」を重視してきたこともあり、「利用者の抱え込み」という概念を外し、どんなに事業所にとってはマイナスにはたらいたとしても、適切なタイミングで、次の10年・15年を引き受けてくれる相談支援専門員にバトンタッチすることを、私の至上命題だと感じて取り組んできました。

私がこれまで担当してきた利用者さんは、長い人ですでに7〜8年のお付き合いがあるわけですがから、着実に年齢を重ね、最近では18歳になり大人のサービスに移行したり、介護保険にバトンタッチする方々も増えています。

その区切りのタイミングで引き付きを行うことで、たとえば卒業を迎えるほとんどの利用者さんには、若い相談支援専門員に引き継ぎを行い、本人とこれからの長い人生をサポートしていく上での関係性の構築につながればと思って取り組んできたのです。

周囲を見渡せば、新たに立ち上がった計画相談支援事業所も存在するようになり、そこにはたくさんの若手の相談支援専門員がいる以上、もはや私個人がでしゃばる必要すらなくなったとも思って今日を迎えたのです。

しかし、今月末には期待していた私よりも一回り若い、同僚の相談支援専門員が退職することになり、私の思惑は外れることになりました。

もちろん、これからもその思惑を諦めることはありませんが、結局のところ、私の思いを実現するためには、不確実な要素が大きいということも思い知らされることになったのです。


よくよく周囲を見渡せば、計画相談だけを8年も9年も継続して行なっている人は少ないということに気付かされます。

そんななか、私がこれまで担当してきた利用者さんは、「計画相談が変わる」「相談支援専門員が変わる」という経験をほとんどしていない方々ということになります。

他の事業所の利用者さんの中には、たった数年で相談支援専門員が3〜4回も変わったという方がいるようですが、ノーマの利用者さんにとっては、そんな経験をした人は、誰一人いないと思います。

それはなぜか?答えは単純です。

私自身が計画相談の相談支援専門員であり続けているからです。

他県では私よりもキャリアが長い人たちは当然たくさんいると思いますが、少なくとも私のいる地区では、私個人はこの地区でもっとも長く計画相談を行なっている相談支援専門員のひとりだと思います。

誰よりもこの地区の実情を見届けてきたひとりと言えるのです。

同時に、誰よりもこの地区の課題を抽出し、その解決に向けて提案したり、仲間を募ったり、実際に行動したりしてきたつもりです。

それは単に課題を言うだけではなく、実際に解決にむけた行動も行なってきました。

それが「出る杭」となり、これまでも周囲から煙たがれることも感じることも多々ありました。

逆に、地域に働きかけても硬直した状況が続き、私自身が失望し、その環境から離れることもありました。

社会の微妙な空気感の変化や、利用者やその家族のニーズの変化、嫌な言い方になりますが、地域の社会資源である法人や事業所の栄枯盛衰などを敏感に感じ取ることもあります。

「人が辞める」「人が入る」それによって事業所の雰囲気や空気感も変わる。

これまで楽しく利用してきた人が、雰囲気や空気感の変化によって事業所が合わなくなったので、相談が増えたりすることもあります。

利用者や保護者の事業所に対する評価の変化、長くやっていると、ご家庭の状況の動きを察知することで、そのニーズも大きく変わったり、予想だにしなかった問題に直面して、私たちが対応に追われることも数多くありました。

それでも私たち相談支援専門員は、提案は行うものの、あらゆる最終決定を利用者ご本人やそのご家族に決定を委ね、決して私たちの都合で誘導するようなことのないように心がけて相談支援を行なってきました。

特にノーマでは、「継続性」を優先するからこそ、利用者やそのご家族との適度な距離感を常にこころに置きながら、「公正中立」を維持することで、利用者やそのご家族、また、支援する事業所も含めた「権利を擁護する」ように努めてきました。

私たちノーマは、事業所の一方的な利害を汲み取ることはしませんので、都合の悪い人たちにとっては、私たちノーマから利用者を切り離そうとする勢力もいました。

しかし、たとえそれがうまくいったとしても、後になって利用者やそのご家族から正直に事実を聞かされるわけですから、そうやって法人や事業所の評判を連鎖的に落としていくことになるのだなと、これまでの実体験から身をもって感じることもありました。

こういった関係性をていねいに行なってきたからこそ、利用者やそのご家族とこれまでその関係性が途切れずに、今まで継続できているのだと思うのです。

もはや、それは家族とはいわないまでも、「遠い身内や親戚のような存在」になりつつあるという実感もあります。


同時に、そのような関係性になるが故に抱える課題も、支援を行う上で大きな壁となって私に立ちはだかるようにもなりました。

長い付き合いのなかで生まれる信頼は、ある意味、「安易な依存相手」と勘違いをすることにもつながり、少ないながらも「何を言っても許される」「無理を言っても良い」といった風潮に至る関係性も出てきました。

それは、相手だけの問題ではなく、私たち相談支援専門員の対応の問題でもあります。

ただ、そのことを早めに敏感に感じることができたため、私も今一度自分の在り方を見直すきっかけにもなりましたし、「できること」「できないこと」「譲れるもの」「譲れないもの」を明確にしながら対応できたので、最初のその芽をつむことにもつながりました。

長くやり続けることの弊害は、おそらくこれからもっと感じることなのかもしれないと思い、今では、以前よりもさらに慎重な相談支援を心がけるようにしています。



長くやり続けることの弊害は、計画相談の相談支援専門員として従事する「私個人」に対しても降りかかる問題でした。

私は、同じ作業を10年近く行なってきているわけですが、その業務は「事務処理」が大半を占めます。

事務処理というのは、決まった書式(テンプレート)にその内容を記載していくのですが、この作業を業務の中でしない日はほとんどないというほど、同じことのくりかえしになるのです。

私たちが少しでも気を許せば、「今回くらい、前回同様でいいかな?」と思った瞬間から、私たちは楽を覚えることになるのです。

もちろん、きちんとやっても前回同様になるケースもあるのですが、それでも何かしらの成長や変化を見つけて、計画書やモニタリング報告書に反映させていくのが私たちの役割だと考えるのであれば、その一瞬の緩みがのちに大きな負担となって返ってくるのです。

長年、計画相談をやり続ける上で必要になるのは、自ら積極的に「新鮮さを維持すること」。

そのために私が行なっていることは、前回の記録を一通り目を通したら、その場で記録を消去した上で、新たな気持ちで利用者やそのご家族に聞き取りを行うということです。

あえてゼロから書き上げるように自分を追い込むのは、フレッシュな気持ちを維持することに加えて、一瞬たりとも自分が「楽をしよう」と考えないようにしているからです。

人は一旦楽を覚えると、普通に戻すことはなかなかできません。

なぜなら、元に戻そうとするその労力は、普段の労力とは比べ物にならないからです。

馬鹿馬鹿しいと感じる人もいるかもしれませんが、私にとってはモチベーションを維持する手段として、自分が当たり前の自分であり続けるために、ちょっとした自虐的な努力を継続しているのです。

これもまた、長きに渡って計画相談をやり続けてきた人間の対策のひとつです。


しかし2022年は、私にとって精神的ダメージの大きかった1年だったとも言えます。

10年という区切り、「2024年1月末をもって計画相談から身を引きたい」と、法人代表に相談したのも2022年でした。

なぜそう思ったのかについては、もはや述べるつもりはありませんが、ある意味、行政にも、地域にも、計画相談の未来にも失望したのは事実です。

しかし、コロナ禍で業務が思うようにいかなかったからこそ、新たな取り組みを行う機会として2020年から取り組んできた1年半の社会福祉士の通信課程を終了し、2022年の2月に試験に合格し、晴れて「社会福祉士」となりました。

そして同じタイミングで、私は「主任相談支援専門員」の養成研修を受講する推薦を行政からいただくことになりました。

主任相談支援専門員の養成研修を受講させて頂いたことで、これまで私が取り組んできた、地域の福祉支援者の「顔の見える連携」と「支援の質の向上」「支援者の支援」の活動を、まるでそのまま追認してもらったかのような気持ちになり、私にとってのエンパワメントの機会となりました。

その直後には、「相談支援専門員更新者養成研修」のファシリテーターとして、実際に相談支援専門員の養成にも関わらせていただくようになりました。

この更新研修に来られる相談支援専門員は、各地域の相談支援専門員のレジェンドたちばかりであり、その中でファシリテーターをさせていただくことは、私にとっての学びにもつながっています。

私は常に、「私のやっていることで、果たして誰かを傷つけてはいないか?」「私のやっていることで、誰かのマイナスになっていないか?」といった、いつものように行なっている私なりの支援を、一旦、立ち止まって考えることを、同業者や支援者と対話をすることで、自分を省みるようにしてきました。

特に「誰かに教える」または「ファシリテーションする」という立場になったときには、なおさら考える必要があると感じているのです。

人前でもっともらしいことを言いながら、実際には平気で利用者や家族、はたまた職員をコントロールするようなことを言っている、そんな支援者があまりにも多いことに気付かされます。

私たちにそのつもりはなくても、私たちの放つ「ことば」には力があります。

何気ないその一言が、相手がどのように感じ、理解し、伝わっているのか、時々、私は急に不安になり、恐怖を感じることがあります。

それは、常に「ことば」を駆使して、私たち相談支援専門員は、利用者及びそのご家族の相談支援を行うからこそ、そのひとことひとことに責任があると思うからです。


利用者やそのご家族、また、研修などにおいてもっともらしいことを言いながら、自分の事業所では職員の離職や利用者が離れる確率が高いといった現実があるとするならば、誰がその人の放つもっともらしい「ことば」を信用するでしょうか?

知らないから許されているだけで、そのことを知ったのであれば、おそらくまともにその人のことばを信じることにはならないと思うのです。

だからこそ普段の業務以上に、私は法人運営における役員として、たとえば職員に対してどのように関わりを持つのか?どのようにことばをかけるのか?どのように対応するのか?普段の私のことばはどうなのか?そんなことを常に考えているのです。

「もっともなことを、もっともらしく、自信を持って伝えるために」私に課せられた課題は今までもこれからもまだまだたくさんあると感じます。

そして、私はその課題に対して正しく対応できるのか?そんな不安とストレスを感じ、いつも押しつぶされそうにもなるのです。


しかし、そんな私を気にかけ、声をかけてくれるのも、周囲にいる相談支援専門員であり、福祉を担う支援者であり、利用者でありそのご家族なのです。

たったひとことであっても、その言葉に救われることはたくさんあります。

いや、実際に私は助けられてきました。

たかだた半年に1回のペースでしか会わない私に対して、こころから信頼していただき、いつも声をかけてくれる利用者やご家族には、本当に感謝しかありません。

私は、かつての私が必要としたからこそ、支援者のための団体を立ち上げ、法人化しました。

そこに集う仲間たちからも、たくさんのサポートを頂いています。

長年やってきたからこそわかる私の喜びと苦しみは、これから同様に迎えるであろう仲間たちと共有して、その壁を乗り越えるためのお手伝いをしていきたいと思います。

だからこそ、私はその先をゆくものとして、その課題に取り組んでいく必要があると感じるのです。


2022年の終わり頃は、髪色を明るくするという、必ずしも相談支援専門員としては決してプラスに働かない試みをしました(笑)

(実際は白髪対策で、美容師に委ねているだけなのですか…)

俗に言うカラーリングですが、既存の利用者やそのご家族には驚きを与えつつも、受け入れてもらえているようですが、問題は新規の利用者やそのご家族に対しての印象です。

面白いなと思うのは、いきなり訪問してきた相談支援専門員が明るい髪をしているという自ら課したハードルに対し、私自身がいかにその課題を乗り越え、はじめてお会いする利用者やそのご家族に対して関係性を構築していくのかということを考えながら、対話をしている自分がいます。

今、まさに自分自身が「マイノリティである」ということを実感しながら、必死でやりとりをしている自分がここにいるのです。

だからこそ、丁寧に相談支援を行うことを意識しながら、初心を忘れずに取り組むようにしています。

面談が終わり、訪問先から帰る頃には、利用者やそのご家族から受け入れてもらい、できれば「忘れられない人」になっていればいいなと思っています。


私はこれまで毎年11〜12月には必ず、自分を見つめ直す機会をつくるため、海外の視察をかねた長期の休暇を頂くことにしていました。

過去5回、福祉先進国のデンマークを訪れ、その中の1回は、アイスランドにも滞在しました。

海外に初めていったのは、大学時代にイギリスのヨークへの1ヶ月の短期留学が最初でしたが、はじめていく国、はじめて出会う人、はじめて歩く場所、はじめて話すことば、そんなたくさんの初めてに出会って、私たちがいかに狭い世界で生きているのかを考えさせられたものでした。

同時に、日本という国、ことさら日本人としてのアイデンティティについて、深く考えされられたのはいうまでもなく、英会話が上達する以上に(いや、喋ることはできませんけどね)、海外で生きる上で、日本人であることを考えない日はないということを思い知らされたことを、今でもふと思い出します。

しかし、それ以降、海外に目を向けたことは一度もなく、いつしか、その思いも忘れていました。

しかし、2015年にデンマーク コペンハーゲンへの視察研修の機会を得て、ひさしぶりに海外の地を踏んだ時、忘れていたあのときの思いを呼び覚ますきっかけになったことは言うまでもありません。

デンマーク語を話すこともできず、かといって英語もろくに話せない、当時は携帯電話もつながらない状況で滞在していたので、翻訳機能を使うこともできず、言いたいこともすぐに言えないため、本当はやりたかったこと、本当は欲しかったものを諦めたり、我慢することが多かったのです。

まさに、デンマークに滞在していた私は、「いきづらさを抱えた人」であり、おそらく日本においても、その生きづらさによって、声も出せずに我慢している人たちがいるという事実を、海外研修という疑似体験によって感じる機会にもなったのでした。

同時に、だからこそ外ではなく、内に向き合うこと、「もしそうであるならば、日本において、今の私に何ができるだろうか?」「デンマークの視察を通して、私がその見たものを、聞いたものを、どうやって地域にもたらすことができるか?」をずっと考える機会になったのです。

誰からも共感を得ることや、逆に冷やかされることもなく、あくまで自分の声に耳を傾けるという行為を約1週間かけて行なったとき、帰宅の途についた飛行機のなかで、「また、すぐにでもデンマークを訪れたい」という思いになったのはいうまでもありません。

硬直した社会、金太郎飴を切ったような福祉のなかで、「自分にはまだやれることがある」という新たな気持ちを得て、地域に戻ってからも一からはじめようとする気持ちにさせてくれたのも、デンマークの視察研修がスタートでした。

あれから加えて2回の視察研修に参加し、さらにもう2回は、自らの手でデンマークを訪れました。そして、今度は北欧の別の地域に行こうとしていたときに、コロナがやってきたのです。

それから2年は、本当にどこにもいけなくなってしまいました。

年に1回の海外視察を目標に、その1年を頑張って乗り切り、実際に海外に行き、自分と向き合い、新たな自分を感じて帰国する、そういったことを5年繰り返したことで、私自身の気持ちがリセットされ、新たな思いや考えを胸に、次の1年に取り組む、そのすばらしさを実感していた矢先に、新型コロナウイルスの感染拡大という世界を巻き込んだ出来事によって、かつでの自分が抱えていたストレスの塊や意欲低下に苛まれました。

経験のない人には全く理解はできないかもしれませんが、経験してしまったが故に、何もできない、どこにも行けない息苦しさは、人一倍感じていたのかもしれません。

この2020年、2021年は、私にとってのまさに地獄であり、その反動で計画相談すら放棄しようと考えていた時期でもありました。



しかし2022年の12月15日から23日まで、実質6泊8日という長い期間、私は日本の航空会社が直行便を出している唯一の北欧国である「フィンランド」の地に、3年ぶりの海外の地に、再び足を踏み入れることに成功しました。

コロナがようやく開け始めた時期ではありましたが、実際にはハードルが高いことは事前の調査でわかっていました。

旅行会社を通じた予約では、往復の航空機チケットだけでひとり40万円前後であり、それに加えてホテル代と滞在費を含めると、もはや60万円を超えるという、とても行ける環境ではなかったので、正直、行くのを諦めていましたが、直接航空会社のウェブサイトでチケットを確保し、ホテルははじめてBooking.comを使ってほどよいホテルを6泊分を予約。

すると、ひとり滞在費も含めて35万円程度に収まることが判明したため、最終的にはゴーサインを出すことにしました。

ただ、これはあくまで滞在にかかる費用であり、そこから何を得て、何を学ぶかは、自分の事前の学習と、現地での行動にかかっているのです。

同時に、世界的に航空機の運用は不安定であり、すでに3ヶ月以上前に予約していたにも関わらず、実際に、予約していた航空機が1度、キャンセルになったこともありました。

たまたま、振替予約に成功したのですが、今度は、日本国内の飛行機の予定の変更、フィンランドのホテルの滞在予約の変更と、旅行会社を通していないことで、自分ですべての予約変更を行う大変さもありました。

しかし、最近の予約サイトはよくできており、ボタンひとつで変更が可能となり、そのホテル側の承認もすべてアプリ上でできてしまうという便利さ。

英語については、翻訳機能がついているので、特に難しさは感じませんでした。

高額な航空機チケットを考えると、旅行会社を通す意味というものはなくなってくるなと感じますし、これらができるかできないか、知っているか知っていないかによって、支払う額は大幅に変わってくるのだろうなと感じました。

まさに情報弱者が痛い目を見る時代になっているのだと痛感しました。



そして、私にとってももう一つのハードルは、ワクチン接種回数が規定に達していないことによる、帰国時72時間以内のPCR検査による陰性証明が必要ということでした。

実は、PCRの陰性証明が求められる国は、日本と韓国、中国といったアジアの2〜3カ国でしかないため、世界で旅行者向けのPCR検査会場が閉鎖されつつあります。

もし、旅行者向けのPCR検査場がない国にいくと、事前に現地の病院に電話をしてPCR検査を受けたいことを伝えて予約する必要があります。

もちろん、英語やその国のことばがわからないと難しいため、多くの人たちは、これを旅行会社に依頼すると思いますが、その費用はおよそ8万円前後かかります。

帰国のためのPCR検査だけで8万円です。

しかし、フィンランドは、日本人観光客を含むアジア向けのPCR検査場を空港内に設置しており、その事前情報のおかげで安心して旅行を楽しむことができました。

しかも費用は2万円程度と8万円と比較するとお手頃です。

ちなみに、マスクをしているフィンランド人は99%いませんでした。

マスクをしているのは、ほんのごくわずかな一部の高齢者と日本人旅行者のみ(苦笑)

私も、混み入った電車に乗車する以外は、マスクはしませんでした。

もちろん、おかげさまで72時間前のPCR検査は陰性でしたので、無事に帰国することができました。


さて、フィンランド滞在ですが、北欧・高福祉国家・シャイな人柄・森と湖の国に代表されるように、同じ北欧のデンマークと比較しても、まったく雰囲気や空気感が違うことを感じました。

あまり表情を出したりするひとも少なく、デンマークのように困っていると声をかけてくれる人もいない。

「もしかしたら、意外と冷たい国?」といった印象を受けたのですが、実際は全く逆。

むすっとした国鉄の窓口にチケットを予約しにいったら、笑顔はいっさいないのに、細かく説明して、画面をみせながらわかりやすいようにゆっくりと話をしてくれ、カウンターから出てきて、時刻表の電光掲示板の前で乗るための乗り場まで丁寧に教えてくれる。

その表情とのギャップに思わず笑いが出た程でした。


そして、極め付けは、大通りであろうが、路地であろうが、信号のない横断歩道に立つと、ヘルシンキではほぼ100%車が先に止まります(笑)

当たり前だと思うかもしれませんが、日本でも、止まってくれる車を待つことが多く、そんなことあまりみたことありません。

かならず横断歩道前に一旦止まろうとしたときには、すでに車が止まっているんですよ。

だから、歩行者は歩きを止めずに横断歩道を渡ることができるのですから、もう、私は日本人バリバリなもので「すみません、すみません」といった感じでした。



人が優先の社会は、何気ないなかでも感じることができるのです。

表情が少ないのは、寒く、雪が深い環境が生み出した国民性かもしれません。

意外かもしれませんが、デンマークではあちらこちらでクリスマスマーケットがあり、ホットワインを飲みながら談笑する人たちで溢れかえっていましたが、フィンランドは、有名な大聖堂の前のみにクリスマスマーケットが存在し、それ以外で目にすることはありませんでした。

クリスマスを祝う習慣は、他の北欧と違いはないと思うのですが、歴史的背景なのか、国民性なのか、比較的ひっそりとした感じのクリスマスのように感じました。

でも、私にとっては必要十分。

煌めくツリーのひかりを見つめながら、今、ここに立っている自分、ここに立つまでに取り組んできた一連のことを思い出しながら噛み締めていました。

来年はもっと海外に行きやすくなるかといわれると、私はそれも不透明だと感じています。

実は、ウクライナ紛争による影響だけではなく、他の国も、例えばイランとイスラエル、中国とアメリカ、中国と台湾といった地域の紛争は拡大傾向にあります。

いつ、どこでその火種が暴発するかわからない不安定な世界なのです。

同時に、パンデミックは終息しているようにも映りますが、実際には、他のウイルスの可能性も指摘するニュースも出てくるようになりました。

「来年だからもっと海外に行きやすくなる」ということは、実際にはあり得ないというのが私の判断です。

だからこそ、「行けるときに行く」「確信を持って行く」という自己責任による判断が必要となります。

これからの世界は、この「確信と決断」の判断がとても重要になると感じます。


そして、フィンランドは「格差」に対して戦いを挑み、「平等」を目標にしていることは明確であることを実感します。

現在のフィンランドの首相は、サンナ・マリンさんという女性であり、ご自身の体験が政権運営に反映されています。

36歳のフィンランド首相、サンナ・マリンが語った「リーダー」の仕事とは?

旅行者である私であっても、そのことを実感することができます。

それは、もっとも新しい市民のための図書館のトイレに行ったときに感じたこと。

それにしても図書館というのはその国の民主主義の度合いを表す場所だということは、デンマークでも感じたこと。

フィンランドの新しい図書館のトイレでは、男女が分けられておらず、すべてのトイレが個室になっていました。

ですから、老若男女が同じトイレに入るのが、まるで当たり前のような社会を目指しているのです。

男性が出た個室に、女性が入るもの当たり前。

当たり前である以上、当たり前にする。

良いとか悪いとかではない。

サウナも場所によっては混浴と聞いていますし、裸で入ることは、男性も女性も気にしないとのこと。

ジャンダー格差が世界一少ない国として評価されているフィンランドでは、普通の世界なのかもしれません。


そして、私が事前に学習するなかで、もっとも感銘を受けているのが「SISU」という考え方。

私が今、読んでいる本がこれ。

EVERYDAY SISU フィンランドの幸せ習慣

ここでは詳細に書かれていませんが、フィンランドのなかで大切にされている考え方であり、行動規範のようなものです。

トラウマを抱えたおとなやこどもたちを支援することもある私たちにとって、ひとつの明確な考え方や行動規範になるかもしれないと思いました。

おそらく、今後、「こどもサポートルーム SISU」が現れるかもしれません(苦笑)


フィンランドは、オープンダイアログを生み出した国。

フィンランドは、まだまだ私たちがしらない何かがあるように思えて仕方ないのです。

北欧特有のデザインやノーマライゼーションといったものばかりではなく、かといってハードでもない。

私は、北欧のフィロソフィといったソフトの方が重要だと感じています。

今回の私がフィンランドを選択する中での訪問先を、ムーミンで有名なタンペレやサンタクロースがいるロバニエミを選ばず、あえてロシアの国境が近い、かつ湖のそばである、フィンランドの夏の避暑地であるラッペンランタを選んで、あえて豪雪の時期に訪れたことは、ある意味、フィンランドの中にある厳しい環境とその中にある何かを求めているようにも思えるのです。

私がラッペンランタで行ったことは、雪に囲まれた湖のほとりを歩くことだけだったのですが、たった1時間ちょっとの朝の散歩が、私のこころに何か大きなものを残してくれたのです。

それは、まさに厳しい環境に身を置くことによって、私のレジリエンスが育まれた結果かもしれませんし、それこそがまさに「SISU」なのかもしれません。

何かはわかりませんが、とにかく今でも記憶に残る最高の時間だったことは間違いありません。



なぜ、わざわざ冬に北欧に行くのか?と問われたら、それはオフシーズンが故の航空機チケットが1年で1番安いからなのですが、最近、それは全く違って、冬だからこそ、あえて過酷だからこそ、私がいくべき環境なのだと思うようになったのです。

それは、私のこころの浄化であり、精神や肉体の浄化でもあります。

日本人にとって、フィンランドはきっと居心地が良い環境だと思います。

性質も性格も共感できる部分が多いですし、自然信仰なども日本人との親和性は高いと思います。

フィンランドのヘルシンキに到着した15日は、マイナス9度予報でしたが、それ以降は、福岡の方が雪が降って寒かったと思います。

森、湖、サウナ、、、キャンプのメッカでもあります。

あ・・・最高ですね(笑)



2022年の最後に、私のこころが大きく揺さぶられ、回復することになりました。

これがあったからこそ、私はこのブログを更新しようと思ったくらいです。

社会福祉士になれたことよりも、主任相談支援専門員になったことよりも、フィンランドに行くことができたことが、私にとっての大きな宝物になったのは、いうまでもありません。

そのおかげで、たくさんの利用者やご家族、支援機関の皆様にはご迷惑をおかけしましたこと、深くお詫び申し上げます。



先述した通り、2023年2月には、いよいよ計画相談10年目に突入します。

そして1月4日からは、元大野城相談支援センターの松田さんがノーマに加入することになりました。

それに伴い、ノーマの支援範囲は、これまでの那珂川市・春日市に加えて、大野城市を入れることにしました。(運営規定の変更も行なっています)

現管理者である川口くんの退職に伴い、2月からは再び私が管理者として着任することにもなりました。

新しい体制にてノーマは再び動き出します。

何かと変化の多いスタートになりましたが、ノーマは変わらずそこにあり続けたいと思います。




2023年に私が目指すことは、次の計画相談の10年を示すことです。

私がどこまでいるかはわかりませんが、私の最後の業務として、計画相談をやり続けることになると思います。

同時に、私の次の世代にバトンタッチするため、ノーマはさらなる相談支援専門員の拡大(相変わらず24時間は避けますけど)を目指します。

そして、地域の計画相談支援事業所と連携を図りながら、この筑紫地区の一部である那珂川市、春日市、大野城市といった地域レベルで、福祉のバトンをつなぐための具体的な活動を行なっていきます。


私たちとともに、この地域を、この業界を一緒に盛り上げてくれる方々とともに、さらなる飛躍の年にしていきたいと思います。

地域でもっとも信頼できる、質の高い、『五つ星』の計画相談を目指して。



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