モンスター支援者にならないために。

久しぶりに研修のファシリテーターを担当させてもらっています。


そして、その役割に対してとても重圧を感じつつ、緊張感を紛らわすかのようなテンションで取り組んでいます。

周囲がどのように思うかはわかりませんが、久しぶりに相談支援の本質を知る方々の一員として、まさに『緊張感』を感じながらなんとかついていっているといった状況です。


毎回言っていますが、本当に力のある福祉従事者は、年齢や立場は関係なく、誰にでも謙虚で、とても丁寧な対応をされています。

参加者に対して、威圧感や虚勢を張ったような対応は一切ありません。


誰もが「安心感」を感じながら、自分の思いを表出できる環境に身を置き、研修に参加しているのです。


それは、ファシリテーターという役割でありながら、私自身がいろんなことを振り返る機会となり、大いなる学びの場となっています。


研修は確かに参加するものですが、主催側にいることで、より自分自身の大きな学びとなり、大きな連携先の広がりを感じるのです。


それは、決して誰にでも与えられる役割ではない「特別なもの」かもしれませんが、かといって決してその場にいることを「自慢できるものでもない」ことは参加すると本当によくわかります。


なぜなら、いわゆる『本当の研修』に参加すると、「ハリボテのような経験を持つ自分」と「誇示し、つくられた自分」であること、あり続けることが不可能だからです。

もっと本質的な自分と向き合う必要があり、虚像で誇示しているような支援者であれば、そのプライドはきっと粉々になることでしょう。


私が、今回の研修にファシリテーターとして参加して感じた全てであり、だからこそ自分を素直に表現し、むしろダメな自分であることを曝け出しながら、共に学ぶスタンスで参加しています。

もちろん、参加する方々にご迷惑にならないように、ファシリテーターとしての事前準備は用意周到に行いつつ。


ファシリテーターという役割が、さらなる関係性の広がりとなり、さらなる自分の視点を広げる。

人間である以上、誰かに私自身の気づきをもらわないと、きっと、その先には、いろんなものにがんじがらめに縛られ、支援者として致命的な、見える世界を狭められた広い視野を失った、『モンスター』となった自分に向き合うことになる。

その姿を自分で見返したとき、どんな気持ちに苛まれるか?


そんなことを考えながら、昨日の深夜、雪に覆われた夜の道を歩きました。







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