計画相談の相談支援専門員が10年目にしてようやく感じた計画相談としての「メリット」
これから書く(話す?)内容は、私が実践する中で感じたことですし、必ずしもすべての計画相談の相談支援専門員が感じることではないかもしれません。
しかし、現在の私にとっては、大きな気づきであり、次の10年を見据えた私なりの答えだと思っています。
特に最近、私の事業所には、新しく相談支援専門員を迎えたことにより、私の訪問に同行してもらう機会が増えたのですが、ひとつひとつの訪問が終わってから、新しい相談支援専門員(とはいっても、すでに経験者なので教える部分はあまりないのですが)と一緒に、ケースをフィードバックしながら、私なりの視点や考えを述べるのですが、その彼から返される言葉の中に、私自身がこれまで気付かなかったことが多いことに、私自身が気付かされるのです。
そのことがきっかけで、私自身も「これまでのこと」「現在のこと」「これからのこと」といった感じで、様々なケースを通して実践してきたことの整理を行うきっかけになりました。
今から約9年前に、私は、この地ではじめて計画相談の相談支援専門員として従事しました。
当初は、私自身が精神科領域で勤務を行ってきたこともあり、精神障がいを抱える大人の計画相談を中心に対応してきましたが、いつの間にか求められるのは、知的・発達障がいを抱える児童ばかりになり、地域でも数少ない児童分野を受け入れる計画相談支援事業所として、いつしかこの地区では「児童分野=私」みたいな地位となりました。
立ち上げから、見様見真似による運営、行政との折衝を行いながら、この地区での計画相談としてのルールを作ってきました。
もちろん、行政担当は3年程度で大幅に変わってしまうからこそ、現在に至るまで、何か良い変化や結果がもたらされているわけではありませんが、反面、行政を頼りにしなくても、私たちの手でなんとか、この計画相談を維持していくために、多くの近隣の同業者を巻き込んで、私たち自身の手で、質の向上と、自浄作用をもたらすような集まりを作ってきました。
いつしか、周辺にもたくさんの計画相談支援事業所が立ち上がり、私自身は、ひとつの長年、計画相談一筋の古い事業所のひとつとして認知されるようになったわけです。
もはや今では、他の事業所となんら変わらない、むしろ、周辺からは「古くからある事業所」としての評価でしかありませんが、計画相談10年目を迎える私は、そのような自らの過去を振り返る機会が増えたことで、新たな自分の立ち位置と気づきをもつようになり、計画相談の役割を認識できるようになったのです。
その気づきを、『計画相談を継続することによって得られる「メリット」について』という内容で、みなさんと話をしてみようと思います。
私が10年目にしてようやく感じた計画相談としての「メリット」
- 長年のつきあいによる信頼関係により、ご本人や保護者と相談支援専門員の方向性が一致するようになる。
- ご本人とご家族を中心とした支援機関を含む信頼関係の構築により、お互いに連携・連帯・協力体制の構築がしやすくなる。
- お互いにこれまでの関わりから生まれた(なんだかんだで今までやってきた)安心感により、互いに不安や焦りから解放され、「時を待つ」「タイミングを待つ」といった「待つ支援」ができる(無理な支援をする必要から解放される)ようになる。
- お互いに「エンパワメント」を実感できるようになり、「できることは敢えてしない」「できないことは寄り添う」といった支援が暗黙の了解で実現できるため、相談支援専門員も精神的負担の減少と余裕を持った支援ができる。
まず最初に私が述べたいのは、私が、児童の時期から本人とその保護者に関わるようになったことは、今を思えば、とても重要な決断であり、それまで児童分野の相談支援の経験がなかった私自身も、勇気を持って受け入れたことで、今、こうやって、その児童が大人になって以降の支援に大きなメリットを感じているということです。
上記に述べたことにおいて、全てではないにしても、児童からの関わりこそがもたらす大いなるメリットだと、個人的には感じています。(大人からの関わりはだめだと言っているのではありません。)
特に、児童分野で大きいのは「保護者支援」であり、保護者に対する相談支援は最も重要な要素だと感じています。
児童を支援するのは放課後等デイサービスといった直接支援の現場であったとしても、保護者の支援を行うのは、やはり相談支援専門員が行うことが重要だ感じる場面は大いにあると感じます。
それは、決して直接支援を行う支援者による保護者への関わりを否定しているのではありません。
相談支援専門員とご本人と保護者の関わりは、契約を解除しない限り、大人になってからも続くからこその「役割」が存在するということです。
私たち相談支援専門員は、児童から大人まで幅広い世代を対象にし、そのケースはひとりあたり100件を超える実践からの情報の蓄積です。
私たちは、その蓄積したその情報を元に、先を見越した支援を可能とし、得意不得意はあるにせよ、私たちはそれぞれのケースから、過去を知り、現在を理解し、未来を予測しているのです。
不安の中にいる保護者に対して、もしかしたら、先のことなんて考えられないくらいに現状が厳しい中にいる保護者に対して、少しでも明るい未来を見せることができるのも、それらを知っている私たち相談支援専門員だからだと思うのです。
例え何もかもうまくいかない状況だったとしても、なんだかんだと言いながら、私たちは保護者に寄り添い続け、時にどうすることもできない状況の怒りを、私たちに対してぶつけたり、クレームを言われることもあるかもしれません。
それでも、決して見捨てることなく寄り添い続けた結果、私たち相談支援専門員が「でも、私は今までもこれからもここにいますよ!」と自信を持って言えることに、どれだけ保護者にとっての理解と安心につながるでしょうか?(私が継続こそが最大のニーズだという意味はここにあります。)
また、信頼関係の構築が浅い状況では、例えエンパワメントを理解していたとしても、相手の希望や要求を断ることは、精神的にとても大きな負担となります。
例えば、してほしいことを要求されていても、「ご自身でできることは、ご自身にしてもらいます。」と相手の意にそぐわない内容を伝えることが、どれだけ私たちの精神的な負担になってしまうかは、これまで実際に行ってきたからこそ私も十分理解できます。
「私がやっておきますね」と伝えるだけなら、どれだけ、簡単で、気持ちが楽でしょうか?
でも、長い目でみると、決してそれではいけないからこそ、真意を丁寧に伝え、相手に納得してもらうことが重要だと思ってはいるのですが、その労力は決して少なくはないのが現状です。
「じゃ、あんたは何をしてくれるのさ?」「相談するだけなら、別にいらないよ!」と言われた時の、私たちを襲う感情の揺らぎを必死に我慢して、冷静に対応することの心労は、いかばかりでしょうか。
これは、やったことのある人にしかわからない苦しみであり、私たちが「感情労働」と呼ばれる由縁だと思います。
でも、妥協せずに、その感情を乗り越えることにより、いつしか、ご本人から「これ、自分でやっておいたよ」と言ってもらえるようになるのです。
今までであれば、なんでも「依頼」が先にあったことが、いつしか、「報告」になってくるのです。
その時には、私は、できたことを共に喜びあることができるのであり、同時に、私たちの業務負担も軽減し、それを徹底することで、その影響は絶大なのです。
共に喜び合える機会が増えれば、益々関係性は良くなっていきますし、本人もどんどん成長していくことでしょう。
ともに作り上げ、積み上げてきた時間は、お互いの信頼関係を強固にし、「待つ」支援にもつながりますし、「きっとできる」「例えできなくても、誰からも責められないし、むしろ支えてもらえる」という安心感が、次の挑戦を後押ししてくれるでしょう。
最初は、本当にわからなかった計画相談の相談支援専門員としての意義とその役割が、ここにきて、ようやく、いや、本当にようやく実感できるようになってきました。
我が子のストッパー役になっていた保護者、例えば、支援者が可能性を伝えていたとしても、その不安から安全な道を選択して、卒業後の進路を就労継続支援B型にしていた保護者が、卒業間際になり、我が子の可能性を信じて、まずは就労移行支援を選択するようになったのは、まだまだ早い段階から、その子の将来を支援者と共にモニタリング等で語り合い、「我が子にも可能性があるのかもしれない」と、私たちのことばを信じてくれた結果だと、私自身が素直に思えるようになったのも、この10年の積み上げの結果に伴う「気づき」なのです。
なかなか我が子を自らの手から離すことができなかった保護者から、急にグループホームへの入居を「本人と家族で決めました」と報告を頂いて、その理由を尋ねたときに、過去にモニタリングの席で支援機関を含めて皆さんと話をしていたとき、そのときに私が話していたことばをずっと心に留めていたとのことで、だからこそ、実際に我が子がその年齢やその状況になったときに、ふと私の顔とことばを思い出すことができたと聞かされたとき、素直に喜びを分かち合うことができたもの、時間を積み上げながら、丁寧に関わりながら、未来を共に語ることの重要性を実感した結果なのです。
同時に、計画相談とは、何と責任ある、尊い業務なんだと、改めて気を引き締めるきっかけにもなりました。
10年目となり、いよいよ次の10年を見据えた時、私は、まだ計画相談であり続けながら、まだ見ぬ領域まで見る必要があると感じたのです。
しかし、次の10年は、本当にバトンタッチも考えないといけない10年です。
私自身が、突然、業務継続ができなくなるといった可能性も年々高くなります。
そのとき、私はどうするのか?誰に託すのか?そういったことを本気で考える必要があると思うのです。
長くお付き合いをしてきたからこその、私を信じてお付き合いしていただいたからこその、責任だと考えているのです。
その責任をまっとうしたいと思えるようになったのも、私と利用者ご本人や保護者と共に積み上げてきた信頼関係であり、相互理解の結果です。
是非、その領域に達する仲間たちが、少しずつ増えてくることを願って止みません。
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