実績や歴史ある事業所が衰退する理由

最近、身の回りで起きる様々な出来事に、ただただ驚かされることがあります。

これまで、この地域で8年以上計画相談を行なってきて、たくさんの事業所さんと関わりを持ってきました。

そして、それ以上にたくさんの職員さんにも接点を持たせていただき、もちろん良い思いも不快な思いもしてきました。

仕事である以上、良いことばかりではないことも、私としては理解しているつもりです。

数はわずかですが、「何も知らないであろう」「何の知識もないのであろう」いち職員さんの対応にイラっとすることもありますし、私を下にみるようなドヤ顔で接してくる方もわずかながらいます。

そういったときの私は、『バイスティックの7原則』を思い出しながら、感情を統制しつつ、決してものごとの善悪を口にせず、人の良し悪しも判断しないように努めてきたつもりです。

最近は、『経験こそが、自分自身の大きな敵でもある』と言い聞かせることが増えてきました。

経験年数がすべてプラスに働くことはないのです。


まだ、20代であったときの私のことばと、現在、40半ばを超える私のことばとでは、同じ意味であっても、周囲からの捉えられ方は違うのだと常に感じるようにもなりました。

もっと年齢と経験を重ねた時は、周囲の方々はもっと私に話をしにくくなるのではないかと思うようにもなりました。

実際に、私は相談支援専門員として特段「できる人間」ではありませんし、私よりもはるかにフットワークの軽い相談支援専門員はたくさんいます。

どちらかというと、単におしゃべり上手なおっさんなだけです。

しかし、そうであっても、私は年齢を重ねれば重ねるほど、対人援助職として業務を行う以上は、常に笑顔と謙虚さを忘れないようにしなければならないと思うのです。

こういったことを言葉にするのは簡単ですが、実際にやろうとするとなかなかそうもいきません。

過去の経歴や経験で、どんなに自信があっても、その自信さ故に、いつのまにか自己中心的になり、周囲に有無を言わせないような状況をつくり、独裁者のような状況となり、気がつけば周囲はイエスマンばかりになっているのかもしれません。

それ以上に最悪なことは、そのような状況になっていること自体に、本人は気がつけない状況になってしまうことなのかもしれません。

もはや、周囲は誰も指摘や忠告をしてくれないのです。


意見を言えば、「経験の浅い、素人の意見」と現場の声に耳を傾けず、いつのまにか自分よりも経験や実績なのい人間をみつけては、暇さえあればその人を陥れるようなマイナスのことばを口に出し、そうやって言い続けているうちに、まるで現実がそうであるかのように自分自身が思えてしまい、どこまでが本当でどこまでが嘘だったか、口にしている自分ですらわからなくなるような状況になるのかもしれません。

そういった抑圧された現場で仕事をする職員は、いつしか「自分の意見」を持つことができなくなり、何があっても「指示を受ける」人になると思うのです。

相手から「何時に伺えばよろしいですか?」といった簡単なことですら、「○○に確認して折り返します」と指示を受ける職員となるわけです。

しかも、その調整だけで1〜2日かかってしまうのであれば、誰がその事業所に対して「良い事業所」としてのイメージが持つことができるでしょうか?


すでに私自身が実感することもでもありますが、やはり、人間は年齢を重ねるなかで、記憶や柔軟な判断力は、確実に衰えてきます。

ただ、それに対して経験と実績以上の『学び』でカバーしているのですが、特に時間の流れや変化が大きい激動の時代のなかにおいては、個人がカバーできるということは限られています。

私の過去の経験だけで判断できることは、もはや少なくなってきているのです。

そういった自分を、自分自身が認識できているかが、自分自身のこれからの行動を明らかに変えていくと思っているのです。

であるならば、最も周囲の意見をきかないといけないのは、経験を重ねた私たちなのかもしれません。

私たちが、謙虚に聞き取りをした上で、最終判断をするのは私たちであれば良いのです。

その責任は、あくまで私たちであるのですから。


私たちがこういった謙虚な気持ちを忘れてしまったとき、机上の数字や自分の過去の経験だけですべてを行なってきたのであれば、結果的に現場から多くのひとたちが離れていくでしょう。

利用者ですら、これまでの幻想から目を覚まし、これまで費やしてきた時間を恨むかのように怒り、そして、それらが抱えた負のオーラが他の方々にも伝播し、事業所運営は大きな岐路を迎えることでしょう。

ましてや、そういった状況を、万が一でも他の誰かのせいにするのであれば、その事業所は・・・もう救いようがないと思います。

最近は、私の知らないところで生じているたくさんの大きな出来事を耳にして、私自身が振り返ることができる機会を得ることができています。

これらすべては、反面教師にするしかありません。


福祉の世界に「神」は存在しません。

「神のような」「神になりたい」支援者はいますが、「神」は存在しません。

「神」を肯定するような支援者とは、距離を取るべきかもしれません。


私は、最後までしょうもない人でありたいと思います。


年度末には、いろんなことを考えたくなるものです。なんとなくね。



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