計画相談を10年続けるために必要なこと。

今年の2月から計画相談をはじめて9年目に突入したわけですが、これまで利用者さんやその保護者さんとの関係性を維持しながら、ここまでやってくることができました。もちろん、すでに何百人とのやりとりをさせていただく中で、トラブル等が全くなかったとは言いませんが、それでも、利用者さんの側から、契約解除の申し出があった方は1%にも満たないので、本当に私を信用してお付き合いいただいたみなさんのおかげでここまでくることができたと実感しています。

現在では、一番長いお付き合いを頂いている方でも、すでに7〜8年くらいの関係があるわけですが、今となっては、お歳暮とお中元の時期、いわゆる半年に1回程度やってくる「ハムの人」みたいな存在として定着しつつあります。私が訪問日の調整のためにご連絡を差し上げれば、「もう、そんな時期ですか?時が経つのは早いですね〜!」と、まるで、私の存在で季節や時の流れを感じるようなご返答をいただきます。私自身、ここまで継続してお付き合いをさせて頂いてはじめて、この計画相談の醍醐味みたいなものを感じるようになりました。もはや、ここまでの長い付き合いになってくると、「支援が多く必要な方」は身近にいますが、いわゆる「困難事例ケース」といった方は、ほとんどいなくなってしまいます。というより、「困難と思わなくなる」といった方が適切かもしれません。何か発生すれば、「あ〜、またはじまったね」みたいに落ち着いていられると言い換えても良いかもしれません。

現状、私が計画相談をやめるといったことでは考えていないですが、私のなかでも、10年という年が、ひとつの区切りになると感じています。よく計画相談は、計画案の作成とモニタリングという同じことの繰り返しのような業務と思われがちですが、同じことの繰り返しで良い「良好な状態」が続いていると考えれば、私からすれば、安定して地域生活を送ることができていることなので、とても「すばらしいこと」だと思っています。でも、その背景には、ご本人に対して直接支援を行なっている支援機関の皆様のおかげであり、その尽力に対して、私たち計画相談も常に感謝しなければいけません。

最近になって、これまで何年にも渡ってお付き合いを続けた方が増えたことで、私のことばが確実に本人や保護者の耳に届いていることを実感する機会が増えたと感じています。卒業後の進路を決める際に、『「昔、寺川さんが言っていた話はこれか!」と思い、母親である私が自ら動いて、本人と一緒に進路先を決めました!』と報告してくれたお母様がいたり、毎回、「A型A型!」と行っていたお母様が、「卒業後の進路先として、就労移行支援や自立訓練の利用も視野にいれました!」といった報告も頂くようになりました。

別に、その選択をしたことが良いと言いたいのではなく、「その時の私の話をきちんと覚えてくれていたこと」「将来の選択肢の幅が広がったこと」に、私は意味があると思っているのです。こういった感覚を得られるのは、最低でも5〜6年以上は必要になると思います。今、こうやって実感できる状況になってはじめて、計画相談という仕事への「意義」や「誇り」を感じるようにもなりました。


どんなことよりも、まず私たちが続けることは「正義」なんだと思っています。

みなさんが実現したいことはたくさんあると思いますが、まず、続けること。

続けるためにすべてを優先させること。

これが、相談支援専門員と利用者、家族、地域を信頼でつなぐ、大きな近道です。


しかし、ここまで至るまでには、かなり紆余曲折がありました。でも、私はありがたいことに、この紆余曲折を、誰よりも先に感じる立場にいて、そのやりとりのなかで、多くの課題に直面し、乗り越える経験をすることができたと思っています。それは、何より、計画相談の黎明期から始めることができたことで、私自身が最初から周囲に誰も知り合いがいない状況で、「孤立していたこと」、そして、その中にいた私自身が、「計画相談に何が必要か」を実感できたことが、今の私がここにいることができた大きな理由だと思っているのです。これらの経験が、今の地域における私の活動につながったのだと思っています。

私が計画相談として継続していくために必要なことは、

①「計画相談の相談支援専門員を支える場の確保(孤立防止、人材育成、スキルアップ)」

②「地域の社会資源、支援者とつながる場の確保(他職種連携、交流)」

であり、その必要性を感じたのも、すべては計画相談を始めたことがすべてのきっかけでした。


私は、計画相談は、地域のマーケティング事業所だと思っています。

この地域に不足している社会資源地域特性地域課題、反面、インフォーマルな資源の存在地域の熱量など、計画相談を行なっていたからこそつながった人や資源もたくさんいます。計画相談を行うことで、地域ニーズが見えやすく、新しく事業を始める人こそ、計画相談に尋ねるべきだとすら思います。


そして、計画相談を通じて見えたものは、「福祉はまちづくりである」ということです。

障害福祉を私たちは担っていますが、障害福祉を通じてみえてくるものは、障害だけではありません。高齢者問題、ひとり親家庭、経済・貧困問題、教育問題、児童虐待、孤立の問題など。なにひとつ、障害福祉だけの知識では解決できない問題ばかりです。私は、他にも、福祉事業所の経営支援なども求められることがあります。私の持つノウハウを求める人たちもいるということです。


計画相談のつながりが全くなかった時代に、私は、計画相談がつながる必要性を感じたのです。だから、地域ではじめての計画相談の相談支援専門員向けの学習会を開催しました。それは、この地区に基幹相談が謳われる前からです。そして、その参加する人数が増えたことによって、より広い範囲でつながる場をつくりました。それが、今の一般社団法人設立の基礎となった、チキンの会の開催です。

現在は、計画相談のネットワークが広範囲に広がったことで、県下で必要な社会資源の生の情報は、地域で働く計画相談支援事業所を通じて、鮮度の高い情報が得られるようになりました。同時に、自らの職域を守っていくためにも、私たち自身が計画相談のスキルアップを図ることが求められることも予測し、希望すれば誰もが学べる環境を、私たちの地域に作ることができました。それは、社会資源が乏しい地域に、実際に勤務する中堅〜ベテランの方々の話が聞ける環境をつくることができるだけではなく、就労や児童、対話といったあらゆる研修会にも拡大し、地域に全方向の支援者向けの学びの場をつくることにもつながりました。

これは、基幹や委託相談が主催しているのではなく、地域の計画相談が主体となってできたものです。本来は、基幹相談支援センターが行うべきことですが、その整備ができるまでには、この地区ではまだまだ時間がかかってしまいそうです。その間も、計画相談は現場で動いているわけですから、相談支援専門員を守るためにはおのずと必要となるのです。

コロナ禍ギリギリの2年前には、大きな有名講演家をお呼びしての1周年特別記念講演会も実現して、福祉職員の仲間たちと一体感を感じながら成功させることができました。先日、開催された相談支援専門員の人材育成研修には、すべてのグループに私たちの仲間たちが配置されており、その中で、彼らは計画相談の立場で中核的な発言をしてくれていました。その姿は、私が理想とした、この地域に質の高い計画相談を根付かせる、そして、支える体制を作るといった目標が実現したことをまさに実感した瞬間でした。

私は、計画相談であること、あり続けることを目標にしていました。計画相談での経験を積むことで、いろんな機関と計画相談として対等なやりとりを行い、利用者さんの課題に地域を巻き込んで取り組む体制をつくりたいと思っていたのです。そのためには、私自身が計画相談であり続ける必要があると思っていますし、そのスキルを所属法人の枠を超えて繋いでいくことが必要だと思っています。

そして、継続している私たちをみて、つぎの世代の計画相談が生まれてきている今、その新しくはじめた相談支援専門員を支え、育てていくことが、地域にとって重要な役割だと認識しています。地域の様々な機関が機能不全であったとしても、今、悩んでいる利用者やそのご家族のためにできることを、地域の支援者である私たちがつながってサポートしていく方が、とても重要だからです。おかげさまで、福祉事業に特化した設立支援を行なってくれる司法書士さんや複合機のリース会社さんといった、まさにインフォーマルな支援体制も整いつつあります。


計画相談を10年続けるためには、地域とつながることが必要不可欠です。

しかも、自らアクションを起こし、公正中立な立場で連携・共有することが重要なのです。


ソーシャルアクションが根付く地域を目指していくために、私たち計画相談が孤立せずに連携、共有、そして自己実現できる環境を作っていくために、これからも私は取り組んでいきたいと思っています。そして、このような職能団体が、それぞれの地域で生まれたら、その時は県域をこえた連携を図っていきたいと思っています。


「私たち(計画相談)の未来は、私たち(計画相談)の手でつくる。」

よければ、私たちの計画相談の枠を超えた活動にも共感してもらえたら嬉しいです。


一般社団法人福岡・筑紫地区地域福祉支援協会のホームページ






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