感情表出をすることの難しさ 第18回福岡筑紫地区福祉倫理研究会(通称:対話の会)のご報告

仮のケースをテーマにした対話を行った今回の対話の会ですが、参加者が、思わず立ち止まって唸るような内容でした。

例え話としてですが、精神状態が不安定であり、異性に依存体質の40歳の女性。双極性障害で、糖尿病、知的障害の疑いがあります。離婚歴もあり、こどもは実母が育てているとのこと。同じ施設に入所して知り合った35歳の男性が、この度、就職が決まり、就職先の企業側が準備した寮に入ることになり、現在の施設を退去することになりました。

彼女である本人のために、男性も近日中にもひとり暮らしを始めることを決めており、その間、しばらく現在の施設で待っていてほしいと伝えていたが、肝心な本人は、我慢できずに施設から逃亡、1週間後に連絡がついた時には、自ら不動産屋を訪れ、契約して、自分の部屋を借り、しかもその男性との間の子を妊娠していたとの内容。

さて、この女性に対して、私たちなら相談支援専門員として、支援者としてどのような支援を行うだろうかという対話でした。その中で、妊娠したこと自体は、本来であれば祝福されるべきことではあるけれど、その時の私たちは、最初の第一声として何とことばをかけるだろうか?はたまた、彼女の妊娠を心から祝福できるだろうか?というテーマがだされたとき、思わず、誰もが唸ってしまったというお話でした。

咄嗟に出てくる感情やことばに対して、私たちはその時、その場で、自分の感情に対してどこまでにコントロールしながら、ことばを選ぶことができるだろうか、果たしてその場にいた自分はどのような状況に陥るだろうか?という、自分いう感情の特性と自らの価値基準を再確認する場面となりました。


例え、例え話としても、かなり考えさせられる内容でしたが、ただ、そこにいた支援者、相談員すべてが、いろんな思いはあるけれど、やはり、妊娠を祝福して、こどもを安心して育てることができるように、支援を考えていきたいとことばにしたいたことは、わたしたちの本来の立場を再確認させてもらうことができた時間でした。

「ダメ」「無理」といったことを伝えたところで、おそらく、その女性との関係性は構築できないだろうし、コントロールしようとすればするほど、きっと、距離をどんどん作っていくだろうというお話になりました。


みなさんなら、その場にいたときに、どのような気持ちになり、そして、どのような声をかけるでしょうか?

え?(笑)







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