計画相談を支えるのは「相談援助技術」

計画相談の相談支援専門員として心がけていることがあるかと言われたら、あくまで利用者と支援事業所の黒子に徹することだと思っています。時折、計画相談の立場で主義主張をする相談支援専門員もいますが、私自身の実感としては、そういった対応はあまりうまくいくことはないと感じています。

それがたとえ、支援の知識や技術を豊富に持っている立場だとしても、私たちが発するひとことが、必ずしも利用者や事業所にとって必要なもの、心地良いものとは限りません。私たちが正しいと思っていることでも、その内容がご本人や保護者にとって素直に受け入れられることとは限らないのです。人は、その人自身が本当に困らないと、周囲の声は耳に入りにくいものです。であるならば、そのタイミングがくるのを待っておいて、適切なタイミングで伝えることも技術なはずです。そういった技術は、障害の知識や、私たちがどんなに医療的知識、支援経験をもっていても、適切に相手に伝える知識がなければ、なんの意味も持ちません。伝わらないことは、何もしてないことでもあるのです。

計画相談の相談支援専門員としての私のポリシーは、まず相談支援専門員として、「ソーシャルワークの技術」「ケースワークの技術」いわるゆ「相談援助技術」を一番大切にしなければならないということを心に留めておくことです。

支援技術がある人がやりがちな計画相談は、「ご本人や保護者に関わること=支援技術を伝えること」となってしまい、結果、本来の相談支援から、「今必要な支援手段や将来に関することについて教えを乞う人」になってしまうことです。ご本人や保護者にとっての「支援を教える人」になることは、何かあれば、なんでも教えてもらえる人になってしまい、結果的に、依存・決定確認相手になってしまうことにもなりかねません。本来、その役割を担うべきは、「計画相談」ではなく、「支援事業所」でなければ、支援事業所も計画相談に対して、その手段のお伺いを立てるといった歪な関係性になります。

あなたがいないと成立しない支援は、正しい支援とは言えません。それは、本当の意味での「自己決定」ではありません。

計画相談がそのような立場になると、一定数の不満を述べる利用者やそのご家族、事業所が出てきます。その多くは、「なぜ、私が選択したことに対して、計画相談がその良し悪しを決めようとするのか?」ということです。こういった話が出てくる計画相談の多くは、計画相談が「先生」と呼ばれるような存在になっていることが多いのです。その背景には、知っているが故の「理想」を利用者や保護者、あるいは事業所に対しても押し付けてしまおうとすることです。その時には、相手が置かれている状況やこれまでの経過、背景などを無視した状況もあり、言われた側からすると、大きなトラブルの火種になっていることが多いのも事実です。

どんなにうまく対応していても、一定数の利用者が離れていくことはありますが、年に何回も生じている相談支援専門員は、自分の対応のあり方を今一度、振り返る必要があるようにも感じます。一番は、適切な方にスーパーバイズを受けることです。

支援者側に「直面する問題に対してうまくやって乗り越えてほしい」「失敗を経験してほしくない」という思いがあるからだとは思いますが、そもそも、それらを決めることも含めて、計画相談でもなく、支援者でもなく、本人であり保護者であることを再認識しなければなりません。結果的に、このような相談支援を行う相談支援専門員は、「トラブルメーカー」となってしまい、どんなに最善の支援を求めようとしても、その方との関わりも解消せざるを得なくなります。それこそ、本末転倒な支援となります。

私たちは、よく「権利擁護」「公正中立」を求められる職業ですが、その背景には、本人が選択を尊重すること、本人の権利を尊重することが求められており、常に中立かつ公正な立場で物事を捉え、正しく伝える立場にあるということです。結果的に、これらをきちんと守ることで、私たちが原因となるような問題やトラブルは回避できます。本当の意味で計画相談を突き詰めると、これらこそが重要であると理解できます。

計画相談は、決して驕らず、誘導せず、善悪の審判をせず、あくまで第三者の立場で物事を捉え、伝えることが重要なのです。それもまた、「相談援助技術」なのです。


寄り添うというのは、声のトーンや眼差し、表情にまで気を配ることですよね。


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