福祉現場で働く支援者が何よりも優先すべき重要なこと




計画相談の現場にいると、ある時期、ふとした事業所とのやりとりのなかで、急に話を切り出されることがある。

その内容は、決まって「頂いた電話で恐縮なのですが・・・」であり、そのことばを聞くと、すぐに私たちの頭には、担当者の「退職」という2文字が浮かび上がる。

その後に続くのは当然、「実は、急なのですが○月末をもって退職することになりまして・・・」である。

もちろん、社交辞令的だとしても、私からは「なぜなんですか?せっかく、お近づきになれたのに・・・」といった話をすることが多いが、実際の本音の部分は、職場での電話でのやり取りで話すことは難しいに決まっている。

障害福祉の現場にいる私にとっては、これらのやりとりは特に珍しいものではない。

しかしながら、計画相談という利用者と事業所をつなぐ役割を担うことを主な業務とする私たちにとっては、せっかくの顔が見える関係性を構築できたのに、また、新しく配属される方とゼロから信頼関係を組み上げていく必要が出てくることに、正直、うんざりする瞬間でもある。

かといって、私は、退職するその支援者に対して、ひとこと物申したり、苦情を言いたいのではなく、どちらかというと、また、どこかで、一緒に仕事ができるのかどうかを確認したくなるのだ。

それは、数多くの現場で働く支援者と接する計画相談を行う相談支援専門員が故の、人との繋がりを大切にしたいと思う性分なのだと思う。

現在の事業所を退職したとしても、この業界で仕事を行なってさえすれば、狭い業界でもあるので、どこかで必ず再び会う機会に恵まれると思うからだ。


私たち相談支援専門員は、事業所と利用者をつなぐにあたり、必ずしもその事業所につなぐというよりも、そこで働く「その人」につなぎたいと思う場面に良く出くわす。

例を挙げて言えば、事業所としての支援はそこまでの期待はできないが、その人(支援者)がいるからこそ、私が担当するこの利用者には、相性も含めてベストな選択ではないかと判断することが少なからずあるのだ。

こういった選択は、必ずしも適切とは言い難いが、ただでさえ社会資源に乏しい事業であれば、そういった選択も当然出てきてしまうものだ。

だからこそ、万が一、その事業所における「その支援者」が何らか理由で退職していなくなるということは、その事業所の今までのカラーや雰囲気までガラリと変わってしまうことになるため、相談支援専門員としても、その後の利用者の状況を注意深く見守っていく必要があるのだ。

福祉業界において、その支援者が辞めることは、雇用主側の問題だけというわけではなく、地域の社会資源として評価をしている私たち外部の支援者にも大きな影響を及ぼすことがあるのだ。


過去に、近隣の自治体で、大手の社会福祉法人の内部で、役員と従業員との間に大きな溝を生み、中堅以下のほとんどが辞めてしまうということ(事件)が生じたことがあった。

それは、社会福祉法人という地域福祉の要である、業界においては大きな役割を担うべき法人から、経験年数を重ねた力のある多くの職員がいなくなるという大惨事だった。

ただでさえこの地区には数少ない社会福祉法人のひとつであったが故に、頼れる中堅クラスの福祉職員の多くがこの地を離れることによって、この地域の支援力に与えた影響は計り知れないものだった。

しかし、当の法人トップは、地域に対しての謝罪のひとつもなく、この地を去っていった。

周囲はともかく、計画相談を行う相談支援専門員として、その法人が運営する数多くの社会資源と顔の見える関係性をつくっていた私にとって、簡単に撤退していくというその動きに、腹の虫が治らない状況であった。

障害福祉という公共性の高い仕事に従事しているはずの私たちですら、結局のところ、自己保身しかしないものなのだということを、改めて考えさせられることになった。

よく、社会福祉法人が持て囃される昨今ではあるが、営利法人であれ、NPO法人であれ、社会福祉法人であれ、結局のところは地域のことなど誰も考えていないのが現実なのかもしれないなと当時は思ったものだ。

返って、まだ株式会社や合同会社の方が、税金も払いながら、商工会議所などにも所属して、地域に根ざして運営さえしているのではないかとすら思えていた。


おそらく、この地からいなくなった数多くの退職した職員も、容易に退職を考えるに至ったわけでなかったと思う。

というより、残された利用者のことを思えば、苦渋の選択だったに違いないのだ。

こころから信頼できる支援者も多くいたからこそ、その職員が退職を決めた時の決断に対して、周囲が文句を言うことは容易にできることではない。

私は、辞めるという苦渋の選択をした支援者を咎めることは絶対にしない。

中には、支援者としての資質に欠ける者もいるので、逆にそういった人をこの話の同列にあげることはやめてほしいが、この仕事に生きがいを感じ、この仕事を選択した者が、仕事を辞めることを検討しなければならないことは、本来であればあるべきことではないのだ。

私たちが相手にする方々は、単に取引先の顧客ではなく、地域での生活者であり、その支援が生きる上で必要な人たちなのだから、その場を離れることは、こころある支援者であれば容易な選択はできないはずなのだ。

それでも、そんな中でも退職を選ばなければならない状況に追い込まれることへの「原因」「理由」を、雇用主はもっと慎重に考えて、対応を検討するべきだと思う。

もっと、現場の声に耳を傾け、少しでも職員の思いに寄り添うようにすべきだと思う。

こんな話をしていると、まるで支援者ではなく、利用者に対する話のようにも感じるが、私の意見としては、利用者のことを考えることと同じように、職員のことも考えることが、法人の役割だと思うのだ。

「そんな大口を叩くお前の法人は、きちんとできているのか?」とそんな声が出てきそうだが、これもはっきりと言えるが、もちろん私もできているとは思っていない。

いや、おそらく完璧にできることは、これからもないかもしれない。

だからこそ、利用者同様に、常々、職員の置かれている状況を考え、法人として意識をし続けることが大切なのだと思う。


そして、現場で働くひとりの職員の立場として私が言えることは、

メンタルを病むくらいのストレスを感じる業務ならば、誰かを頼って、まず、その役割から少し離れること。

メンタルを病むくらいのストレスを感じる職場ならば、まず、有給を使ってでもその職場と少し距離をとって休むこと。

メンタルを病むくらいのストレスを感じる法人ならば、休みをとりながら将来についてゆっくり考え、思い切って退職を検討すること。


対人援助職として働く私たちは、その職種のプロとして、自分の限界を知ることでバーンアウト(燃え尽き症候群)を自ら防ぎ、こころに余裕を持った仕事を心がけることが大切である。

そもそも、支援者に疲れやストレスが原因でのこころの余裕がない状況のときに、良い支援は絶対にできない。

余裕がないことで、ちょっとしたことに私たちが過敏に反応して、普段は言わないような強い口調や荒い発言内容となり、相手との関係性を崩すことだってある。

また、自分が持ち場を離れることに不安を感じる人が一定数いるが、「私がいないと、この利用者が困る」ということは絶対にないし、そもそもそんな支援を行うこと自体が、間違った支援であることを理解する必要がある。

「あなたがいないといけない支援」は、「あなた自身が利用者に依存させている支援」を行なっていることに他ならない。

そもそも、利用者から、「あなたがいないと、私は生きていけない」と言わせる支援は、支援者として、プロとして、絶対に行なってはいけない支援なのだから。


支援者も、もっと自分を大切にしていくべきだと思う。

私たちの究極の支援は、例えなにもしなくても「その場に居続けること」だから。

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