自分のスタンスを確立する
計画相談の相談支援専門員は、その時々で判断を求められることがあります。その判断が曖昧なままだと、後々、小さな問題だったことが、大きな問題に発展してしまうこともあります。私たちが、計画相談としての経験を重ねる中で、少しずつ判断の迷いを断つことができるようになるのですが、それがいつまでかかるのかは誰も教えてくれません。そもそも人はなぜ、迷うのでしょうか。それは、選択した先がどうなってしまうのかは、誰にもわからないからです。結局、他人のアドバイスを信じても、その人に将来の結果責任を負わせるわけにはいきません。結局は、自分の判断を信じるしかないのです。であるならば、私たちに求められるのは、ブレない価値基準であり、自分のスタンスを確立することではないでしょうか。
私は、誰かにアドバイスが欲しくて、こうやってブログやfacebookを運用しているわけではありません。本質的には、すべての相談支援専門員と私の考えを共有したいわけでもありません。私は、あくまで私の意見を発信しているだけなのです。私自身もこれまでたくさんの方々に、いろんなことを教えていただきました。ただ、教えていただいたことをそのまま鵜呑みにするのではなく、自分の体験や経験と照らし合わせて、私なりの判断基準、価値基準をつくってきたつもりです。時には、研修会や学習会で学ぶこともあります。時には、直属の上司に教えを請うたこともあります。私の考えを聞いてもらって、意見を求めることもあります。その中では、まったく私の判断とは逆の判断を教えてもらうこともあります。ですが、そのような中でも、自分の判断を曲げないこともたくさんありました。世の中の全員が右向け右の世界なら、福祉の発展なんてありえないと思いませんか?教科書ですら、5年後には全くちがったものになっていることさえあります。いろんな価値基準を知る中で、自分の経験や価値観と照らし合わせて、自分の判断基準にすることが大切なのではないでしょうか。だから、私の意見を鵜呑みにする必要はないのです。私の考えは、私の考えです。他人の考えは、他人なのです。相手の発信を否定的に受け止めるのではなく、なぜ、そのような考えになったのかの背景を知ることです。だからこそ、恐れずに自分自身の考えを発信することが大切なのです。私は、自分の担当する地域の計画相談がもっと発信したら、利用する側も勧める側も、とても判断しやすくなるのではないかと思うのです。日本人だからというわけではないでしょうが、とにかく人の土俵で意見を言う人間が多いと感じます。そのこと自体が、相手を拒否していることに気がつかないのであれば、おそらく、支援の中でも人を傷つけているのではないかとすら思うのです。何度も言いますが、自分が自分の考えとして発信すれば良いことなのです。そして、その発信に同意できないのであれば、あなたが同意できる人を選択すれば良いのです。自分の発信の結果、利用者が減少したとしても、それでもその考えを曲げない選択も必要だし、考えを改める選択も必要なのです。それが、「多様性」だと思いませんか?
あくまで耳にした話ですが、とある地域の、とある事業所の理事長さんが、計画相談の相談支援専門員に対して「服装」を厳しく注意したそうです。きちんと綿パンにジャケット着ている人でしたので、そこまで違和感を感じない私でしたが、(そもそも私はTシャツにGパンですけれど・・・笑)「就労支援施設に訪問するのにスーツじゃないなんて!」と言われたとか。でも、私はそこで思うわけです。確かに他人であるその人の価値観なんですが、その理事長が、その計画相談の相談支援専門員の中身よりも外見を注意したわけで、そういった考えをもつ理事長がトップにいる事業所ということなんですが、障害福祉を行なっているということですので、きっと、その事業所に「多様性」は期待できない、見えない枠の中にはめ込む支援をしているのだろうなって、私の価値基準ならそう判断すると思います。欧米ではファッションで刺青をしている人が福祉をしていますが、多くの人が外見よりも中身ってよく言っている割には、「ここは日本ですから!日本のルールに!」とか言うんだろうなって判断しそうです。その話を聞いて、日本の福祉は、きっとまだまだ後進国だなって思うのが、最終的な私の価値基準です。私のこの価値基準をあえて否定されることはないと思いますし、だからといって、その理事長の価値判断を否定するつもりはありません。ここには、私の「こころの中」をあえて文章として書いているので、悪口を言っているように聞こえますが、私がその価値基準に同意できなかったら、私がその事業所を選択しなければ良いだけです。もちろん、いろいろある選択肢の中から、私があえてその事業所を紹介することはしないのは言うまでもありませんが。そういった繰り返しが、結果的に、私の知らないところで、「ノーマの寺川ならなんというだろうか?」というその人の判断基準になるのではないかと思うのです。別に、私である必要はありませんが。
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