計画相談だからこそ見えるもの

計画相談の役割を考えた時に、その限界も感じる機会は多いと思います。「相談支援」とはいえ、相談支援専門員の役割は、場面において様々な形があります。「基幹相談支援センター」「委託相談支援事業所」「一般相談支援事業所」「計画相談支援事業所」すべてにおいて「相談支援専門員による相談支援」が行われていますが、実際にその役割や機能は重なり合う点はあるものの、本質的には全く違うのです。違うからこそ、それぞれの事業所が存在し、そのなかのひとつでも身近な地域にない状態は、その地区の相談支援体制の機能不全が生じているのだと思います。ただし、その体勢ができない状況であっても、利用者は目の前にいるわけですから、いずれかの役割は、どこかが負担する形で担うこととなるわけで、結果的に、本来の役割を超えた支援が求められることにもつながります。結果的に、収入に至らない役割も増えて、事業運営の不安定さをもたらすとともに、その状況に甘んじることは、結果的に、その地区の相談支援体制の整備を遅らせるだけではなく、いつになっても、そこに住む生活者が不利益を被ることになるのだと思います。本当に地域福祉のためを思うのであるならば、私たち支援者が中心となって、行政を動かしたり、私たちの手でその役割を担える体制を作っていく必要があります。そういった視点をもって、私たち相談支援専門員は取り組んでいかなければなりません。

その中で、「計画相談としての役割は?」と考えたときに、まだ始めたばかりの時は、「なんのために存在するのか?」という点で、私は日々、葛藤することが多かったように思います。半年に1回の頻度で利用者と会うことに何の意味があるのか、正直、当時の私でもその目的意識を持ち続けるには、あまりにも過酷な日々でしたが、その時は、取り組むことに必死だったとしか言いようがありません。もちろん、当時は200名以上抱えていたわけですから、モニタリングの頻度を増やせと言われても、首を縦にふることはできませんでしたが。一番、苦しかったのは、重症化した利用者さんの対応が全くできなかったこと。最終的には、医療的なケアが必要となり、その際は、いろんな支援者の協力を得て、適切な関係機関にお願いすることとなりましたが、その時ほど、「何のために私がこれまで関わり続けたのか」という重苦しい葛藤を感じたことはありませんでした。本当に「計画相談とはなんだ?」と思ったわけです。

ただ、今、感じるのは、「つなぐ」という選択が正解だったのではないかということを、ようやく理解できるようになったことです。私の周囲にも、自分の計画相談の無力さを訴える相談支援専門員が数多くいますが、まさに、適切に引き継ぐことが、本来のソーシャルワーカーの役割なのです。あくまで、計画相談には、最初からきちんと役割があった上で制度が始まっており、それ以上のことを求めるというよりも、まさに利用者にとっての最初のセンサーとしての相談の入り口になれるかどうかが大切なのです。そこから、すべてを担うのではなく、適切にリスクを予測しながら「必要な機関に調整してつなぐ」ことが、明確に求められているのです。しかし、最初は「自分に何ができるのか?」で頭がいっぱいだったこともあり、肝心な自分の足元が見えていない状態だったのかもしれませんし、今、そのことを考えると、もしかしたら、もっと多くの利用者や支援機関に対してご迷惑をおかけしたこともあったかもしれないと反省するのです。

計画相談をスタートして丸5年が経過しましたが、今、ようやくその目的や意義が、あらゆるケースを通して実体験として積み上がり、様々な側面から理解できるようになったと思います。それは、(もちろん、大切であることは言うまでもありませんが)計画をつくることだけが重要ではなく、計画作成やモニタリングを通じての利用者及び事業所とのやりとりを通して、私たちが客観的に相手を見ながら、いかにその対話に入っていくことができるかが、その後の支援や方向性に大きな影響を与えていくということを、実体験を通じてようやく理解できるようになりました。おそらく、計画相談が付いている利用者と、付いていない利用者では、その後の選択肢や方向性に大きな差がでてくるのではないかと、「実感として」感じています。それは、目先の限られた情報や手段からの選択よりも、その方の持つ強み(ストレングス)を背景に、根拠(エビデンス)に基づく選択を促すことが可能となるからではないかと考えています。

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