連携がうまくいかない本質的な背景
計画相談は、自立支援であることが求められることは前述しましたが、計画相談の相談支援専門員が、利用者やその家族に対してアドバイスや善悪の判断をすることは、決して良い相談支援専門員や支援者ではないことをお伝えしておかないといけません。何よりも、私たちは本来、常に「自分(の価値観)」を消した状態で、利用者と向き合うことが求められるのです。本人の自己決定を行なったこと自体を評価したり、本人が選んだ道を応援することは私たちのもっとも取り組むべきことですが、(例え、利用者さんや家族から、意見やアドバイスを求められたとしても)決して私たちの価値観に基づいた選択肢を誘導したり、先導したりすることを求められているのではなく、それはむしろ頼られているというよりも、「依存されている」と捉えるべきです。大げさに聞こえるかもしれませんが、あながち間違いではありません。あなたの言う通りにする利用者の前では、あなたの心の中で、「自尊心」と「優越感」に浸っていると思うのですが、周囲にいたこれまでの支援者は、きっとそんなあなたを、つくり笑顔で、冷めた目で見ていると思います。しかも、そんな状況であることを尻目に、あなたはそのこと自体に全く気がつかないのです。その状況こそが、実は、私たち相談支援専門員にとって大変致命的であり、それは、利用者やその家族が誤学習を生む、周囲の支援者が最も介入しづらい、将来をも左右する最悪な状況でもあると言えるでしょう。もはや、宗教団体のように、離れれば罰せられるといった精神状態とも言えるのです。何より私たちが、専門職として将来については、本人の意思であり、選択であるということを徹底する以上、そういった状況となれば、その場から離れるしかないのです。これこそが、連携の弊害なのです。たった一人でも、価値観を共有できないと、その方の支援はうまくいかないのです。そして、その決して良くない関わりの一端を相談支援専門員が担っているのであれば、その利用者、その地域、その自治体は、悲惨な状況と言えるかもしれません。
そして、なによりそのことを指摘してくれる人は、おそらく誰もいないのです。誰かが指摘してくれる環境は、とっても幸せなことです。地域の現場では、誰もが教えてくれません。若いうちは、丁寧に教えてくれるかもしれませんが、経験年数を重ねていくと、誰も指摘してくれませんし、影で言われることが増えます。要は、自分で気がつかない限り、誰も指摘してくれない状況となり、『裸の王様』でしかなくなるのです。利用者があなたの声に耳を傾けるのではなく、あなたが利用者やその家族に耳を傾けないといけないのです。あなたのことばではなく、利用者と家族のことばが重要なのです。そのことを誰も指摘してくれないからこそ、常に、相手の表に出している表情やことばだけをみて対応するのは、大きな誤解を招く恐れもでてくるのです。これまで積み上げてきたすべての信頼を、一瞬にして壊すこともしばしばありますし、逆に壊されることもあり得るのですから。何も言われないことは、安心とは言えないのです。常に、「私は間違ったことを口にしていないか?」「私の意図とは、違ったかたちで相手に捉えられていないか?」といった、自分自身の発言や行動を謙虚に振り返り、自分の問題として捉え、もっと良い選択肢はなかったのか?もっと、相手に対してより良い伝え方があったのではないか?と言ったように、自分と向き合い、自己理解を深めていく他ないのです。だから、支援員全般、特に相談支援専門員に求められるのは、「自己理解」「自己覚知」であり、そのことを促す上で必要な「謙虚さ」「畏敬の念」「ひたむきさ」なのです。
“Stay fair. Stay humble.”(公正を保て、謙虚であり続けよ)
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